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スポーツとか色々書きます

アスリートのセカンドキャリアとは人材サービスビジネスが作り上げた幻想である。

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率直にいうと、私は「アスリートのセカンドキャリア」という概念に大きな嫌悪感を抱いている。

アスリートサポートの一環でこういった取り組みや啓蒙活動をしている人がいるし、ぶっちゃけ自分の周りにもいるが、果たしてそれって本質的な課題解決になってる?
って思うことが多い。ていうかただのビジネスだよねw

そして、キャリアにファーストもセカンドもねーよ。って思っている。

アスリートとしてのキャリアと、人間、社会人としてのキャリアが全くの別物であることはおかしい。
アスリートも社会人として「生活」をする必要があるし、アスリートとして「競技レベルを高めること」を中心とした生活を送りたいのであればそのための環境を整えなければならない。

そして、競技生活を中心とした生活が「ファースト」そこから離れた後の「キャリア」を「セカンド」だとするのがおかしいと思っている。
・競技生活を引退した後は、ウェブデザイナーになろうと思ってるんです。
・実はコツコツ資産運用の勉強をしていて引退後はそれに専念しようと思ってるんです。など、明確な異なる「キャリア」を志しているのであれば話は別だが、そうでない場合は引退後のキャリアはセカンドでもなんでもない。そもそもキャリアの延長なだけだ。

アスリートでいる間は競技力を高めることはまず当たり前で、その上で、社会の中で生きるということを自分の置かれた環境や自分自身を客観視して考えている必要がある。

自身の環境を整備する上で「資金」が必要になることもある。であれば
・どうすればお金を集めることができるのか。
・お金を集めるということはどういうことか。
を知る必要がある。さらにその上で自分自身の人生計画をし、アスリートとして競技力を高めることを生活の中心とするフェーズとそれ以外のフェーズでどうあるべきか、何をするべきかを考える必要がある。

大学生や一般の社会人でもそれを考えるのに、アスリートだから考えなくていい、競技力を高めることに集中するべきだなんてことがあるはずがない。


今までは部活の指導者に言われた激務をこなし、実業団に入ったり、協会に言われた通りにやっていけるごく少数のアスリートしかアスリート生活を続けることはできなかったが、もうすでにこの世の中はアスリートも社会の中で成立することができるようになっている。

それを知らないアスリートが多すぎる。
ので、アスリートとしてのフェーズを終えるとセカンドが始まるのだ。

アスリートとして生きたキャリアの先にあるものがたとえ全くの異業種だとしても、自分自身のキャリアにおいて繋がっていくのだ。

アスリートも社会の一員で、主体性を持ってアクションした人間に情報が入る。
その情報を精査する能力、より良い情報を得るためのポジショニングについてははアスリートだろうがそうでなかろうが当たり前のように考えるべきなのだ。

それをしないということは、「競技に集中する」という言い訳のもと自分で自身について考えることから逃げているだけなのではないだろうか。

まずは自分自身のライフプランをより高い精度で見つめるために、情報を得ようとし、その情報を理解しようとするところから始めなければアスリートの「セカンドキャリア」とされている概念にまつわるあらゆる課題は解決できないと考える。

そうすることで自ずと競技を優先・中心とした生活を終えた後のイメージはついてくるし、その時にはすでにサポートしてくれる人は必ずいる。

それは決してアスリートと人材サービスビジネスに紐づけることを目的とした方々ではない。

「人材サービスビジネス」のために固定概念が形成された「セカンドキャリア」。

根本的な部分に目を向けないでこの概念に基づいて表面化された課題の解決はできない。


佐藤浩市さんが炎上しているらしい

気を遣えるキャバクラのお姉さんや、しゅんじろが「佐藤浩市さんに似てる」と言ってくれるので、完全に片思いしている佐藤浩市さんが炎上しているらしい。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00000039-sph-ent

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/05/14/kiji/20190514s00041000104000c.html

 

まぁ・・炎上というか騒動だねw

 

でもこういう時って大体の原因が「マスコミの切り取り」

なんだよね。

そんでそれに踊らされて「けしからん!!!」

ってなるのw

ということで該当のビッグコミックスピリッツでのインタビュー全文を確認してみましょう!(暇じゃないよ・ネットから丸パクリだよ)

Q:総理大臣役は初めてですね。

A:最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。

いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね。

でも監督やプロデューサーと

「僕がやるんだったらこの垂水総理大臣をどういうふうにアレンジできるか」

という話し合いをしながら引き受けました。

そしてこの映画での少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、

自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです。


Q:総理は漢方ドリンクの入った水筒を持ち歩いていますね。

A:はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらったんです。
だからトイレのシーンでは個室から出てきます。


Q:劇中では名実ともに「総理」になっていく過程が描かれます。

A:これはある政治家の人から聞いたのですが、どんな人でも総理になると決まった瞬間に人が変わるっていうんです。

それぐらい背負っていくものに対する責任を感じ入る、人間というのはそういうものなんですね。


Q:この映画からどのようなものを受け取ってもらいたいですか。

A:僕はいつも言うんだけど、日本は常に「戦後」でなければいけないんです。
戦争を起こしたという間違いは取り返しがつかない、だけど戦後であることは絶対に守っていかなきゃいけない。
それに近いニュアンスのことを劇中でも言わせてもらっていますが、そういうことだと僕は思うんです。
専守防衛とは一体どういうものなのか、日本という島国が、これから先も明確な意思を提示しながらどうやって生きていかなきゃいけないのかを、
ひとりひとりに考えていただきたいなと思います。
ビッグコミックより)


 

実際に僕はこの全文インタビューを読んだら安倍首相の病気を揶揄してるとは思わなかったし、そう思う人がいたとしても、こんな大騒ぎになるようなものではないなぁと結果論だけど思っている。

原作も漫喫でざっと読みしたことしかないからあれだけど、別に演者の意向を監督とすり合わせた上で原作とキャラが変わることなんていくらでもあるんじゃないのかなとw

 

その好き嫌いの話なら大いに結構だけど、やっぱり切り取り記事を見て炎上したり罵詈雑言並べたりするってのはどうもナンセンスな気がするなぁ・・。

この時代本当に大切な情報って選ばないといけないし、その真贋も見抜かなければならないから本当に迷惑なこともあるけどその引き換えにハイパー便利な暮らしがあるんだから仕方ないね。
個人でリテラシー高めないとね。誰かの意思によって偏った表現に踊らされるのは嫌なので、僕は切り取り記事で判断しないようにしています。

 




 

長男と字の練習をして改めて学んだ目的の捉え方

めでたく小学校に通い始めて1ヶ月。
世間のGWに合わせて私も休みがあり、子供達と初めてというレベルでまとまった時間一緒に過ごしてみた。

普段は全く育児・家事に携わらない、世の流れに逆行している俺ではあるが、CITYのトップも離れ時間を持て余していることもあり字の練習がしたいという長男に付き合うことに。

ひらがなの練習ドリル的なものを持ってきてその中を見た私は愕然とした。
本人のプライドもあるので公表は差し控えるが、ひらがなというよりは象形文字と思われる「ぬ」や「ね」がそこにはあり、「く」「へ」「て」などのイージー寄りのひらがなですらミミズでも書いたんか?というレベルの有様だった。

そこで、まずは一旦続きから始めようとなり、下記要点は気をつけて書こうということを伝えた。

・見本をよーく見ること。
・書き終わったら、見本と見比べること。
・見比べて何が見本と違うのか言語化して俺に教えること。

簡潔にいうと、これが何一つできないのである。
見本を見るといっても何をどう見たらいいのかわからないのだ。

ちなみに見本とは

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書き順があり、大きなマスを点線で4分割して、止め、はねが書いてある上記内容だ。

これのどこを見るかがわからないのだ。
いきなりこれを見ろと言われても何をどう見ていいかわからないのは無理はない。
ただすでに今まで数百枚単位で数字や時計、字の練習の書式を(違法?)DLし、練習してきたことは知ってるので、なぜ見本の見方がわからないのか不思議だったが、それを今言ってもしょうがファッキンないので、見本の見方から練習することに。

1画目は左上のどのへんから右上のどのへんまで行ってる?まっすぐ?ちょっと曲がってる?曲がってるとしたらどの辺でどのくらい曲がっているのかな?

というようなレベルだ。
ちなみにこれは「て」の練習をしている時の話だ。

もちろん俺も教える勉強をしてきたわけではないのでGoogle先生で得た知識を元に携わったわけだが、「発達障害かな?」というレベルで物覚えの悪い長男ではあるが、時間は掛かるものの丁寧に教えることでだんだんとミミズから字に近づいてくるのである。

そうしていくうちに「く」「へ」「て」に関してはまともというかだいぶ上手に書けるようになった。2時間近くかかったので1文字30分以上費やしたことになる。

俺は途中でバカバカしくなりかけたが、子供は不思議と同じ作業どころか、それ以下の繰り返しと言える作業も黙々と続けられる。

そして途中で時々褒めることでエネルギーが注入されることも知った。

一旦脱線するが個人的に「子供を褒めてください」教育論には不信感を持っている。間違っていることやうまくいかない時に、どうしてうまくいかなかったのだろうか、どうすればうまくいくのだろうかと、一緒に考えることの方が重要だと思っている。
なぜなら、目的は「褒められること」ではなく、「やり遂げること」「できるようになること」だからだ。
褒めることは大事だが使い方と頻度を誤ると目的が変わってしまう。褒められたいから、褒められるから「やる」ようになってしまう。

つまり、「褒める」というのはあくまでガソリンであって褒められることをゴールにしてはいけない。ここを勘違いしている論調や大人があまりにも多いように感じる。
褒めた先に得るものや得たものがどれだけ大事かを教える方がはるかに大切だと考えている。


話を戻すが、自分で書き、見本と違うところを考えさせ、言語化させることで時間はかかるが一つひとつ習得していく自分への手応えを感じているのが目に見えてわかる。
「どこからどこまでどういう筆運びしているのか」をつかむスピードが格段に上がり、あとは思った通りに筆(鉛筆)を動かすことができるかの段階になってきたのだ。

ここまでいけばあとは飛躍的に上達スピードが上がるだけかと思いきや、子供はそうもいかない。「発達障害かな?」と思えるほどに、次の文字になると、気をつけるところや見本の見方が一部頭から離れてしまうのだ。
とは言ってもこれはしょうがファッキンないので、全てがゼロからではない、1か2位に戻っただけなのでまた1か2から始める。次の文字は3か4からかなと期待しつつ、2か3あたりから始めることになるのだが、「3歩進んで2歩下がる」を体感しつつゆっくりだが歩を進めることができた。

子供というのは偉いもんでできるようになり、褒められる頻度が上がると、次の字も!まだやる!ということになるが、全力で集中力が2時間以上続くこともないし、「褒められたいからやる」に変わりそうだったので3文字でその日は練習を終えた。

コントロールもしなければならないし、次はもしかしたら4文字やるかもしれないし時間がかかれば2文字かもしれないしそんなことはどうでもいい。目的は「字を上手に書けるようにする」ことだから。

しかしこのことを考えると、仕事や大人の生活も常にこの繰り返しなのだと実感させられた。
目的を明確にし、そのために何をするべきかを考え、トライする。
必要なエネルギーを途中で補充し、集中力が続く範囲で集中してやる。

今までひらがなの練習もしてきたが、練習すること、紙を書き切ることが目的になり、それをすることで褒められるから恐らくは一生懸命やったのだろう。

だが、字の練習とは字が書けるようになることが目的であって、マスを埋めることではない。紙を書き切ることでもそれによって褒められることではない。

仕事や生活も一緒だ。

子供の頃に父親が汚れの残った皿を「泡つけてスポンジでこすることが皿を洗うことではない、汚れを落とすことが皿洗いだ」と言っていたがまさにそうだ。
※その論理内に「じゃあお前がやれよ」とか「やってもらって文句言うな」って言うバカが一定数いるが、それとこれとは話が違う。

最近長女がよく洗い物の手伝いをしている。
お手伝いだからと言って甘く見ることはない。
綺麗に皿を洗ったら褒めるが、「お手伝いを行う」こと自体を褒める対象にしてはいけない。ので汚れが残ってたら親父が言っていたことをそのまま伝えている。

目的は「お手伝いをすること」ではなく「お手伝いを通じて家事を少しずつ認識、実行する」ことだからだ。

目的をどう捉えるかは成長において大きな差を生む。それは子供だろうが大人だろうが一緒のことだ。
なぜこれをするのか、なぜこれが必要なのか。
それを繰り返すことで本質が見えてくる。

今日からランニングサイトを再稼働させる。
目的をしっかり捉え、いい仕事にしようと思う中で、改めて大事なことに気づかせてもらった。

けど、バカすぎてイライラするので次の字の練習は相当先にことになると思われる。

しゅんじろ退団に際し明治、令和を想う

偉大な男がCITYを離れた。

明治、大正時代はきっとこういう男が日本中にいて、今の日本の礎を作ってくれたんだなと思う。
 
そんな男がCITYに加入してCITYをいろんな意味で変えてくれた。
東京都2部で戦い、大きく舵を切った、アクセルを踏んだシーズンを迎え、この男が新たに歩みを始めるトップチームの礎を作ってくれたことは間違いない。
 
初めて見たのは3年前のセレクション。
ポヨポヨの中年みたいなおじさんと同じチームになり(セレクション参加者に既存メンバーが数人入って3チーム総当りというシステム)、1試合目が終わった後に「私にも足元つけてください。」って言われて、年上のおじさんだと思ってたし、現役離れて数年経ってたこともあり、動きが鈍い印象しかなかったが、セレクションだし言われた通りにやってみたら、めちゃうまい人の片鱗を感じた。
 
助川に「お前の先輩相当うまかったでしょ?」と聞いたらなんとも華々しい経歴を聞き、すぐさま見る目を変えたことを覚えている。
 
それから明治、大正の漢みたいなしゅんじろと昭和、平成のちゃらんぽらん男の私ではあったが、「全幅の信頼」をもって練習、試合でピッチに立つしゅんじろをみていた気がする。
 
これから新たなステージでチャレンジとはなるしゅんじろですが、変わらず「全幅の信頼」をもって見届けたいと思う。

令和元年となる今シーズン飛躍するチャンスを掴んだのはもちろん、立ち上げメンバーや代表、GM、運営メンバーによるところが多いが、昔の日本男児の素晴らしさだけを残したようなこの漢がいてくれたからこそ、新時代を戦うチャンスを得たのだなと思っている。
 

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THE GREAT.

FOREVER.
天津で美味しいお店用意して待っててください。

時代に取り残されて淘汰されていくトップアスリート

まず、「何を持ってアスリートとされるか、そして、トップアスリートの基準とは何か?」

ここは明確な基準もないが、弊社では「ナショナルチーム、もしくはそれに準ずるグループに属しており、世界の舞台で戦う」アスリートをトップアスリートとしている。

現在ではこの基準に沿った約150名の「トップアスリート」の方々からご希望をいただきデバイスのサポートなどを行なっている。

まだまだ一般的な知名度は低いが、各競技のワールドカップやオリンピックなどのシーンで露出も増えてきており、徐々に知られるようになった。

少し話はそれるが私が入社してから、間も無く5年が経とうとしている。
友人が仲間と法人登記して5年らしく5周年記念イベントにお招きいただいた。

若者からある分野で絶大な信頼を得ている魅力的な会社で、自社でウェブやイベント、広告を回している。添えでいて結果を出しつつ魅力的なコミュニティを形成していった。
俺のようなアラフォー直前のおっさんからすると、若手のイケてる会社だ。

弊社は今まで、事前投資、広告投資はほぼ皆無だった。
しかし、5年が経ち、その間売り上げは3倍以上になったが、このままじゃやばいと危機感を得ている。
そこで、アスリートへの投資、広告への投資へ舵を切るよう進言し、ようやくそれが叶った。3年越しだ。

別に社風や社長を悪く言うつもりもないが、これまでの経営、販売方針ではこの先きつい。いや、すでにきつい。これは社風や社長が悪いのではなく、時代の変革に付いて来づらい歴史と年齢というのもある。社長には社長の魅力や得意分野があり、変革に反応し乗るのは私の仕事だ。
ただ、考えや方針を変えるということはそんなにたやすいことではない。3年かかった。俺自身の能力の問題もあるが。

しかし、弊社ではてんで行なって来なかったが必要不可欠な分野で強みを見せる友人の会社に刺激を受け、3年越しの進言が通った。

いざ方針を変えて新たに未来図をイメージすると、非常に明るい新しい未来が待っていた。これもたやすいことではないが、新たに勉強しながら経験しながら一つ一つ成功させていくしかない。

時代は変革していく。そこに合わせられないと淘汰されてしまう。

ではアスリートはどうだろう。


https://www.sanspo.com/sports/news/20190405/spo19040521240009-n1.html

フェンシング協会が電子トレカを発売し、これ実は速攻で売り切れたのだ。
フェンシングといえば、太田雄貴という圧倒的カリスマがリーダーとなり、様々な変革を敢行し、着実に知名度を高めながらファンと結果の両方を獲得している。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041200300&g=spo

ジュニア層も着実に結果を出している。


「わかりにくい」と心理的な背景を持たれていることへの打開策も講じている。


Yuki Ota Fencing Visualized Project - MORE ENJOY FENCING

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000039246.html 

各界のプロフェッショナルとタッグを組み、様々な施策をことごとく成功させている。
これには影で膨大な議論と失敗、高い壁もあっただろう。

しかし、変革し続けているのだ。

 

フェンシングだけではなく様々なマイナーとされている競技も徐々に動き出してはいるが、まだまだ圧倒的に少ない。成功事例はフェンシング以外ではほぼ皆無と言っていいだろう。

そんな中、アスリートはどうだろう。
レーニング、休養に関しては認識も内容も10年前、20年前とは大きく変わり、ワールドスタンダートになりつつある。
しかし、根底の考え方の部分ではどうだろうか。
親、教育者、コーチに言われるがままスパルタ教育に耐え、高校で優秀な成績を残し大学に進学。そこでも自主性、自発性はないまま環境の成長に伴い好成績を出してはいるが、「個人」としての成長はできているだろうか、
「アスリート」・「自分自身」双方のなりたい自分、あるべき自分がリンクしているだろうか。

アスリートだけではなく、「知ってもらわなければ価値は生まれない」。

仮に「日本で一番うまいラーメン屋」があったとしても誰にも知られていなかったらなんの意味もなさない。

アスリートももっと知られなければならない。
昔のように実業団に所属し、会社から給料とトレーニング環境を用意されて、競技に困らないレベルの必要用品をメーカーからサポートされているだけでは、世界から取り残され、国内では誰も相手にしなくなり、その競技、アスリートそのものは淘汰されていく。

自身が魅力的なアイコンとなり、積極的に発信し、流通を起こすまでに成長し、マネタイズを行わなければならない。文化未発達のスポーツマネジメント会社にいたって意味もない。

自身が魅力的な存在となり、魅力的な人材を集め、意見交換し、成長し、競技者としても結果を残し、その生活をより充実したものとするため競技に伴う様々なアクションを行なっていかなければならない。
そうした強い意志と明確な目標を持ちアクションし続けることで、それらを共創できるコミュニティで確固たる「チーム」を作るのだ。

レーニングしているだけでは勝てない。魅力的という普遍的な存在になるために競技以外の部分にもアンテナを張りそれらを全て競技に還元する。そんな新しい「アスリート」をこれから一人でも増やしていきたい。

東京五輪までもう1年3ヶ月ほどだ。出場選手のほとんどは1年以内に決まる。
1年しかないのだ。そこで大きく水をあけられてしまうか、文化として発展するきっかけを掴むかは他の誰でもなくアスリート自身だ。
結果だけでは文化は生まれない。アスリート自身の意識がタキレベルにあり、行動を起こさなければならない。

ワールドカップで優勝し、オリンピックで銀メダルを獲得したなでしこJAPANですら、リオ五輪の出場を逃し苦しみ喘いでいる。

前回のワールドカップで世界を驚かせたジャイアントキリングを達成したラグビーも、今年日本でワールドカップを開催するにも関わらず、文化が発展しているとは言い難い。このままではワールドカップを開催したけれど・・・という状態に陥る可能性が高い。

協会や環境のせいにするのではなく、いつまでもスポンサースポンサーと呪いの言葉をつぶやくのではなく、自分自身のアンテナを張り替えるべきではないだろうか。

そうして自発的に自身の改革をしなkレバならない。
レーニングと一緒で、時代の最先端を自身に取り込まなければ結果を出すことはできない時代に感じる。

足元にお金を掛ける

ほとんどのスポーツやトレーニングで、足(脚)を使うわけですが、ちょっとした投資で大きな効果を得ることができるのに、もったいないなぁ・・と思うアスリートが多いです。

ソックスとインソール。

3P1000円のソックスも悪くはないけど、もうちょいハイスペックなソックス履いてみなよ。全然違うから・・。って思います。

特におすすめは指周辺に縫い目がなく、適度に滑り止めがつき、立体縫製のものです。
若干締め付けがあるタイプが僕は好みです。

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※こういう風に縫い目があるタイプはあまりオススメしません。

滑り止めもあまり強すぎても靴下の中で足が踏ん張らなきゃいけなくなるので、程よくがいいです。印象的にこれくらい「滑り止め」感がついてるものは控えるようにしてます。

立体縫製って結構スポーツソックスではスタンダードなんだけど、履き心地から足へのストレスから何から違います!
で、個人的にオススメなスポーツブランドソックスは

www.ltss-soccer.com

スポーツソックスの老舗RLソックスが展開しているサッカーソックスブランド。
最近セパレート式のサッカーソックスがもう当たり前になりつつあるので、ぜひ試してもらいたい!サッカーの時はねw
ジョギングや運動する時なんかもRLソックス共々オススメです!

で、普段使いから、ジムワークやトレーニングまで対応できるのが

stance-jp.com

カリフォルニア発のハイスペックソックスブランドで、とにかくデザインが豊富で機能も◎!

大手量販店でも販売開始してるからそろそろ国内でもスタンダードになっていくんじゃないかな!

今までのふっつーの靴下と、機能性ソックスの違いは履いてみたらわかります!

ぜひお試しください!
※欲しい人は個別に連絡してください!

普通のラーメンとスポーツ好きのおっさんライフを楽しみます

ご報告が遅れましたが、2018年シーズンの幕が下りた天皇杯東京都予選1次戦準決勝をもって、自身が所属する社会人チームトップチームコーチと言う立場を退き、
トップチームからは名実ともに名前がなくなります。
魂みたいなものは置いてきました。
応援してくれた方、気にしてくれた方本当にありがとうございます。

思えば2015年シーズンに都リーグ参戦を決めたチームに加入し、
激戦の4部リーグをなんとか優勝(全試合スタメンかな)し、
2016年、2017年シーズンは3部で足踏みする苦しいチームにおいて
ほとんど公式戦には出場できず(出た試合はほぼ勝ってるし、出場時間内は無失点だったし、貢献できるつもりではいましたw)、チームも自分も悔しい思いをしました。

2018年シーズンから本格的に現GM兼監督の体制になり、
プレイヤーとして退団を決めていた時から、
「チームに必要だ」と熱心に引き止めてくださり、
チーム、フットボールに懸けるその熱意と言動を見て、
「これに応えなきゃ男じゃねーな・・・」と、
「コーチ」としてトップチームに携わることになりました。


このチームは実力と人間的魅力を備えた選手もこれまでも多数在籍しており、
チームの活動やプライベートでメンバーで集まって馬鹿騒ぎしたり、
朝までサッカー語ったり、仕事の話とかしてめっちゃ楽しかったですw

しかし仕事などの都合でそう言ったメンバーも徐々にチームから離れ、
「うちのチームってもっと楽しかったし、めっちゃ遊んでたよね?」感が漂い始めた中戦った2017年シーズンはチームとして「苦境」でした。

2年連続で2部昇格を逃し、チームとして転換期を迎える時期が来ました。

「このままじゃダサい」

監督を中心にさらに強化を進め、かつての「楽しいサークル」から変化してきました。
それは非常にポジティブなものであると同時に、少なからずの軋轢を生み、
その頃を境にトップチームから離れる選択をしたプレイヤーも出てきました。

また、残る選択をしたプレイヤーも転換期を共に過ごすうちに、
変化に伴う戸惑いなどがあったことも否めませんでした。

私はそう言ったプレイヤーの戸惑いなどを察し、
「チームが同じ方向を向いて走り続ける」ためにこそこそやったり、
表立ってやったりしてました。

そんな2018シーズンは創設者である代表とGM兼監督の思いに、
経験ある選手や長年チームに在籍している選手や、
苦しい時期を共に戦ったプレイヤーたちが徐々に応え始め、
はっきりとその変化を感じるようになりました。

そして3部リーグを優勝する頃には「チーム」となっていました。
リーグ優勝後に行われた3部カップ決勝でいつも練習試合などでやられていたチームとの対戦でも、プレイヤーだけではなく、元プレイヤーたちを中心とした運営陣、プレイヤーを裏で支えてきた多くのスタッフや関係者を含めさらにいい「チーム」となりました。

2019シーズンに向けてチームはさらに強化を進め、素晴らしい実力を持った選手たちが続々加入を決めてくれました。

さらには元日本代表でJリーグでも輝かしい実績を誇る選手が入団することになりました。

考えてみたらそんなチームに私のような「高校からサッカーを始めた下手くそで酒癖悪いおっさん」がいること自体おかしなことなんです。

そして、これはネガティブなことではなく、「実績も実力もない」おっさんに支えられちゃってるようじゃこれから先チームが目指すステージにはたどり着けないぞw
と思うようになりました(てめーなんかに支えられてねーよ怒という声がちらほら聞こえますw)。

スポーツだし、サッカーだし、勝負事だし、試合に出れるのは11人なのでスタメン争いだってある中でいろんな悔しい思いをするやつや、大小不満を抱える人だって出てくるでしょう。

2018年シーズンはそういう不満とかを少しでも解消し、チームが勝つためのエネルギーに変換できるように動いたこともありましたし、そのような部分を求められていたことも事実です。
でも、そんなことはもうこんなおっさんがやらずとも、今のチームなら大丈夫。
実力も人間的魅力も備えた選手ばかりです。

今の選手たちならさらに素晴らしいチームを作れると確信しました。

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「ダサいコミュニティに属したくない。」

これは股間に毛が生え始めたときくらいから思っていたことです。

しかし、CITYが成長するにつれて、こんなに素晴らしいTOKYO CITY F.C.がダサくなる唯一の可能性が「俺」であることに「俺」が気付いてしまったのです。


この発見は後々の日本サッカー界に大きな影響を及ぼすのではないかと思っているわけですが、俺自身がそれを発見した以上、建設的に改善に向けたプロセスをインスパイアザフューチャーしなくてはなりません。
いずれ誰かに「すーさんもういいよ」って言われる前で良かったと思うと同時に、
「自分から離れてくれたか。おっさんだけあって気がつくじゃん」と言う安堵の声も聞こえます。

2019年シーズンはさらに成長し、都2部の舞台でも素晴らしいサッカーを展開し、
1部へ昇格を決めて、東京カップでは悲願の1次戦突破を果たしてくれるでしょう。

それを果たした時、俺はドヤ顔で関係者ヅラするし、万が一果たせなかったらその時もドヤ顔で「やっぱ俺がいないとダメか」感を出しまくります。

何れにしても私の存在を通してチームを知ってくれた方、関わってくれた方が一人でもいたことは何より光栄なことです。
そしてこんなに素晴らしいチームの黎明期とも言える時期に様々な形で携わることができ、悔しさも喜びも味わえ、何より素晴らしい友人たちと出会えたことは大きな財産です。

言うなれば創設期、黎明期だったのが今まで。
法人化し、さらに成長する第2期を迎えるこのタイミングでの判断でしたが、
この判断が正解だったかどうかはこれからのCITY、俺次第です。

これからはさらに躍進するチームを見ながら「チームの転換期にコーチとしておれが関わってたんだぜ(ぐびぐび)」と嫁や子供にクダを巻いてるうざい親父になってることが容易に想像つきます。

CITYのトップチームで感じた喜怒哀楽すべてが良い思い出であり、俺の糧となってます。

4部という日本サッカー協会の組織の中で最下層のカテゴリーにおいて、起死回生(自分で言うとダサいなw)のヘッドを決めた時、飛び込んできたチームメートの笑顔(このゴールがなかったら3部昇格を逃していたので、結果的にこのゴールがなかったら今のCITYは・・・)、悔しい思いをした時期を乗り越えた試合で、慕ってくれていた後輩がドンピシャのクロスを上げてくれたこと(珍しく普通に決めました)、現キャプテンの(当時読むと試合内容でボカスカに叩かれまくってメンタルが崩壊すると言われていた)デスブログで「得点に貪欲なおじさん」と褒められたこと。東京都社会人No. 1のGKに加入の意思を固めさせたこと、、、、

いろんな思い出があります。

これからは「顔でかい、酒癖悪い、話長い」3拍子揃ったプロ草サッカー選手に戻ります。

今までありがとうございました。これからもCITY共々よろしくお願いします。