これが私のアナザースカイ 【LONDON=ロンジャパ】
今回はプライベートな内容が多い&節目的な備忘録でもあるので、今風に言うと2億年ぶりにこちらにします。
先日38歳と言うなんとも微妙な歳になりましたが、40代と言う人生の転換期の最終準備が始まったのではないかと思っております。
そんな38歳を目の前に行われたロンジャパの集いがあったので、備忘録を兼ねて私にとって非常に大きな経験となったロンドン留学とロンジャパについて備忘録を残します。
今から15年前の23歳9月。大学卒業間近に負った交通事故による上腕部骨折も癒え、多くのリービングパーティーを開いてもらってボロボロの肝臓とわずか15万円の日本円、そして今の若いサッカー選手たちには馴染みがないであろうPUMAのエナメルバッグにサッカー道具とスパイクと少しの私服を詰め込み、アコギのハードケースと共に私は成田空港にいました。
中学時代に想いを馳せていた初恋の女の子と聴きまくったGLAYのHEAVY GAUGEというアルバムのラス曲「Savile Row」を聴きながらまだ見ぬロンドンという土地に想いを馳せ、出国を待ちました。
そもそも留学を決めたの高校サッカー部を引退後からずっとBARで働き、友人らと遊びでバンドを続けていて、高校大学とサッカー部に所属していたこともあり、「サッカーと酒と音楽がある街=LONDON」という至極シンプルなモチベーションでした。
あまりの荷物の少なさに「あなた辞書くらいは持ってるの?」という母親の質問に「NO」と答え、「あなた何しに行くの・・」と成田で電子辞書を買ってもらったのは今となってはいい思い出です。
そうしてロンドンに着き、12時間のフライトと無事着陸した安堵感で喉を潤したいなと思った私は空港内に「thirsty?」と大きく書かれていた自販機でコーラを買いました、当時のレートは1ポンド約250円。コーラ1本1ポンド。つまりコーラ1本250円。15万円しか持っていない私は日本の感覚で言うと7万円ちょっとしか持っていない状態であることを入国の際に思い知らされました。
留学斡旋会社にかなりの額を支払ったことで、10ヶ月の語学学校。最初の1ヶ月はその学校に併設されている寮に住むことができるので、一旦のベースはありました。
寮に住んでる1ヶ月の間に携帯、バイト、家を見つけると言うミッションが課せられているので、入寮翌日から、情報収集に出ました。幸い留学斡旋会社のロンドンオフィスが徒歩20分ほどにあり、語学学校共々ロンドンの聴衆深部だったため、絵葉書のような街並みを歩きながらロンドンオフィスに向かいました。また、中学時代の友人が既に5年以上ロンドンに住んでいたと言うこともありがたかったので不安はほとんどありませんでした。
今のようにSNSが活発ではなく、mixiが全盛期ではあったものの、当然今のようになんでも欲しい情報があるわけではないので、文字通り探しに行く機会が多かったように思います。
そうしてロンドンオフィスに到着して、まずは日本人でサッカーやってる人たちがいたらそこで仲良くなっちゃえばイージーゲームだなと思ってたヤングなスズキの目に「ロンジャパレディースメンバー募集!コーチは浦和レッズユース在籍経験あり!」と言う掲示板が飛び込んできました。早速連絡先をメモしてメールでコンタクトを取ると早川さんという方から返信がありました。
高校大学と部活でサッカーをしていた23歳ということを伝えると、ロンジャパには男子チームがあり、なんならめちゃめちゃ歴史のある海外日本人アマチュアクラブとのこと。元々女子チームのコーチ伝いにサッカーコミュニティに足を突っ込もうと思っていた私にとって、願ったり叶ったりの状態で早速その週末に練習試合があるからということでいかせていただく事になりました。
ちなみにロンジャパとは通称で正式名称はLONDON JAPANESE FOOTBALL CLUB。創設から今まで数多くのサッカー関係者や駐在さん、留学生が所属していた現役バリバリの草サッカーチームです。略してロンジャパ。
ロンドン郊外の大きな公園に当たり前のようにサッカーコートが数面あり、当たり前のように対戦相手の腹の出たおっさんたちがわさわさと集まり徐に着替え、徐に試合が始まる空気になる。
私は新参者という事で、当日15人ほどの参加者がいたこともあり、後半からとのことで、試合観戦。
ロンジャパの面々は学生までサッカーをしていた駐在さんや、ロンドンにコーチなどの資格を取りに来た人たちで構成されているので、みんな普通に止める蹴るもできるし、若い人たちは当然走れる。
ロンジャパで驚いたのは佐伯マサさんと坂本さん。元プロとかってこの人たちのことを言うのね。ってレベルでした(実際本当に元プロレベル)。普通にうまい人も多くて幸いな事に楽しくできそうだななんて思っていたら、前半全く点が入りません。
相手は明らかに平均年齢は10個くらい上の腹の出たおっさんたち。ずっと押し込むけど、クロスは上げきれない、シュートは打ち切れない。相手に渡ったボールを大きくクリアーされて、相手FWも頑張って追うけど当然ロンジャパがうまく処理して、同じことの繰り返し。
前半が終わり、後半から出場。公園ついた時から思っていたがまずは芝というか地面の柔らかさに驚く。粘土質とでもいうのか日本の天然芝とは明らかに重みが違う。1歩1歩グニュっと入っていく感じ。ピッチの中は尚更だった。
そして、試合が始まり違和感はさらに強まる。寄せは強いもののまぁ別にこれくらいは、、と思っていたが抜けそうで抜けない。球際よりもっともっとシュート側というか決め所での彼らのギアの入り方は全然違う。腹の出たおっさんたちが全身でものすごい形相でシュートブロックに来る。切り返しなんてしようものなら足ごとというか全身持って行かれる。そしてボールには若干触れているのでレフェリーも当たり前のように笛は吹かない。日本では危険なプレーと言われるようなプレーだが。チームメートも相手チームも当たり前のようにプレーを続ける。むしろそんなとこで切り返しするなんて馬鹿か?って空気感。
こうして何もできないまま後半も終えた。確か佐伯マサさんが決めたゴールで1−0の勝利だった。
試合後は徒歩2分ほどのパブで思い思いにビールを飲む。対戦相手の腹の出たおっさんたちもわさわさと集まり、ビールを飲みガッハッハ笑っている。
試合に負けて、お世辞にも上手だと思う人は一人もいなかった対戦相手のおっさんたちが本当に楽しそうに飲んでいる。
少し経つと、国内では絶対に見ないようなカードの試合がパブ内で流れる。
一つ一つのプレーにあーでもないこーでもないとおそらく言いながら、激しいコンタクトのたびにパブ内には歓声が沸き起こり。イージーミスには顔を真っ赤にして罵声を浴びせている(TV画面に)。
ロンジャパのサッカーは毎週日曜の午前中。ロンドンにいた12ヶ月の間毎週この景色が続いた。
不思議なもんで2〜3ヶ月経つとこの景色は当たり前になっていた。
時折、あ。この人うまいなぁって人が対戦相手にいる時もあるが、大抵は腹の出た40前のおっさんたちが相手。つまり今の俺と同じくらい。
当時ロンジャパで一緒にボールを蹴っていた人たちも今の俺と同じ歳の人たちが多く、代表の渋谷さんは両親と同い年だ。当時すでに55歳だったのに、当たり前のようにスパイクを履き、サイドを走り回る。ちなみに渋谷さんのクロスを決めるとその日のPUBは無料で飲み放題になるからたまらない。勝手にたかっていただけだが。
語学留学というていで入国したものの、ここでは書けないようなことをたくさんして学校生活も一瞬で崩壊し、この堪らない快感に取り憑かれた私はワーホリできた人よりも日本食レストランのバイトシフトを多くして、平日の休憩時間に最寄りの公園でリーグ所属チームの練習に参加させてもらいながら、土曜は1日サッカーして過ごし、日曜はロンジャパ。
当時のロンジャパは半分が駐在さんでサッカーボールがなければ、お会いすることもなかったような層の方々。貧乏留学生の鈴木は散々この人たちにお世話になった。ロンジャパの先輩方と一緒にいてお金が減るどころか、キャッシュオンなのでお前の分も買ってきていいよと10ポンドもらってギネス二杯とチップスを買って8ポンドくらい。お釣りを返そうとするとやるよ。となるのでこれを5〜6人繰り返し、日銭を稼いでいた。
人の入れ替わりも多いのでお別れ会や歓迎会は高級な中華レストランで行われ、数多くの失態をかましたにも関わらずお支払いに関わったことはありません・・。
そして何よりすごいのが、長い歴史を誇るこのロンジャパに在籍した人たちで東京でも定期的に集まり、ボールを蹴ってお酒を飲む文化がいまだに続いていることです。一定以上の愛をフットボールに捧げてきた人たちと達と蹴り、飲む酒はたまりません。
ロンドン時代に関わることのできなかった諸先輩方や後輩達とも幅広いコミュニティが生まれ、後にJリーガーの端くれとなったもはや相方みたいな後輩もこの縁で知り合いました。
38歳という年齢はおそらく当時ロンドンでお世話になった方々の平均年齢を超えているかと思っています。
あの頃諸先輩方から強烈に感じた「大人」にはなれていませんが、このクラブがなければ、あの経験がなければ僕のロンドン生活はとんでもない事になっていたでしょう。そして、間違いなく今こんなに楽しい人生を歩むことはなかったのではないかと思います。
これからも続くロンドンでの繋がりがまだまだ楽しみです!!
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チキンライス
クリスマスが近づくと、冬を彩る殺人的名曲ことキラーチューンが街に流れる。
マライア姉さん、広瀬姉さん全盛期に少年時代を過ごした俺はホームアローンのような街並みで、一度はクリスマスを過ごして見たいと思った。
そして時は流れ、反抗期全盛期にHEY!HEY!HEY!の企画で作られたのがチキンライス。
当時はGLAY兄さんどっぷりから徐々にハイスタ兄貴に心揺さぶられてた時だ。
そんなタイミングで、正直企画自体に日本の音楽シーンを舐めるなくらいに思ってたが、制作段階から若干のドキュメンタリー形式で作られており、その過程からすでに完成を楽しみにしてたことを思い出す。
3つ上の兄が5年生の時、兄の誕生日会が当時猛勢を奮っていたレッドロブスターで行われた。両親と4人で慎ましく行われた誕生日会。
俺は主役の兄を差し置いてエビフライとハンバーグのセット的なのとドリアを頼んだ。
当時うちは「裕福ではない」を大きく下回る「まぁまぁ貧相」な家庭で自宅にお菓子があることなどほぼなく、友達の家に遊びに行った時ジュースとお菓子が出されると「うちでは出してないのになんだか恥ずかいな、、」と思ったり、深川兄さん宜しく友達の家のカルピスの濃さにビビっていた。
そんな家庭事情とそもそも外食が好きではない親父の顔色をものともせずここぞとばかりに母親にオーダーを出した俺に親父はあまりいい顔をしなかったのを覚えてる。
「ドリアはみんなで分けようね。兄はどうする?」と聞いた母親に、その日の主役でもある兄貴は「俺はハンバーグだけでいいよ。エビ好きじゃないし。」と答えた。エビが好きではないのは事実だがそれは殻を剥くのがめんどくさいという理由で、エビフライは嫌いなわけない。ましてや「レッドロブスター」に来ててハンバーグでいいなんてあるわけない。んなことないか?
マサヒロベイビーは「誕生日なんだから好きなもん食えばいいのに、ハンバーグだけとか勿体ないなぁ。。」とか思ってたけど、チキンライスを聴いてから、「あのとき、真っ先にそこそこな注文をかました俺と一緒に自分もガッツいたら親父がもうこういうことをしてくれなくなるんじゃないか?」って思った兄貴が遠慮したのではないかと思うようになった。
別に兄貴を称えるつもりもないし親父の器が小さいとか言う話でもそんなつもりでもない。
俺もファミレスで粋がった注文した子供が食べきれずに残したら、てめえ!!って思う。
チキンライスを聴くと、自分の誕生日なのにバカな弟のせいで遠慮した5年生の兄貴の心情はどんなだったのだろうと思いを馳せる。
そもそもなんとも思ってないかも知れん。
子供の誕生と叔母の死
どこまで伝えたか誰に伝えたかも分からないので、ここに記しておくと、7月に子供が生まれます。
すでに2人の父親として生活はしているが、生誕から携わるのは初めての経験です。
順調にいけば7月頭に出産予定で、今のところは全て順調っぽく、胎盤の収縮による緊急短期入院はあったものの、まずはこのまま健康に生まれてきていただきたい。
その意味でも嫁には感謝だ。
つわりマックスの頃は正直理解しかねる部分もたくさんあったし、悪いことしたなぁとは思うこともあるがどんな状況であれ最善を尽くそうとするべきだし、それぞれに大なり小なり問題はあり、大小に関わらず省みて改善すればいいのだ。そして必要に応じて謝罪すれば良い。
つわりって大変なんだよ!男がもっと理解するべき!という言葉や考えもあるとは思うしそれは理解しているが、だからといってなんでも許されるわけではないというのが持論だ。異論は認めるが何をいってもおそらく響かないと思うので「こいつ最低やな・・」と再認識していただければ幸いだ。
ということで、仕事面では退職、起業、プライベート面では36歳というアラフォー界を背負って立つ世代になり、いよいよ「おっさん」だ。しっかりおっさん。
そして出産を経て新たに一人家族が増える。
お祝いはいくらでもお待ちしている。
ありがとうございます。
その辺はまた改めてしっかり要求させていただきます。
そんな最中、5月上旬に母の姉、つまり叔母が息を引き取った。
備忘録ではないが、叔母の名誉ある人生と死について書き残しておきたいと思う。
叔母は祖母が20歳で産んだ祖父母の第一子。
その3年後に俺の母親が生まれた。
文京区の陸上の記録をいまだに保持し続けている母親が「おねーちゃんは本当に脚が速かった。」というほどの身体能力を持ちながら生まれつき腎臓が弱く子供の頃に祖父の腎臓を移植したらしい。
60年ほど前の医療実情は知らないが、今より相当リスキーであったことは想像に難くない。なかなかアグレッシブな判断だったのではないかと思う。
そして、その影響で激しい運動もできず、さらに45年にも亘る透析を続けてきた。
当時は10年透析し続けたらすごいと言われてたそうでそれを45年も続けてこれたのは医療界の発展と医療従事者の皆様と叔母の頑張りに他ならない。
今更だがとても感謝している。
そんな叔母は子供が産めない状況だったので生涯独り身で祖父母の家で暮らしていた。
小学生時代に通っていたスイミングスクールと高校の目の前に家があることもありしょっちゅう通っていた。
小さい頃から頭脳明晰な叔母は20歳でパリへの長期留学を始め欧米各国への短期留学をかますナイスなレディだった。
考えて欲しい。
今から50年前がどういう時代か。
その時にパリへ留学に行くんだから叔母の思考回路とそれを可能にした祖父母はマジでグランド。
日本に帰国してからは長年通訳や翻訳を生業としていた。
英語、フランス語、ドイツ語を操り晩年は韓国語もほぼマスターしていた。韓国語は独学とドラマのみで覚えたとのこと。8年もの間、週1で家庭教師とママ友を招いて連日長時間韓流ドラマをみていた母親が韓国で全く喋れなかったことを目の当たりにした俺は改めて祖母の凄さを実感した。
会話だけに飽きたらなかったのか、叔母は俺が小学生の頃から点字をはじめた。
程なくして日本語、英語の点字をマスターし、俺が小学校を卒業する頃には日本語点字の講師の資格までゲットしていた。
もしかしたらただの訳したがりなのかもしれない。でも超グランド。
小さい頃からわりと活発だった俺を母親や祖父母とは少し違った角度で可愛がってくれた叔母。
高校の頃、部活が終わって空腹で死にそうな時、自宅よりも祖父母の家の方がもちろん近いので、よく飯を食わせてもらっていた。
体が弱かった叔母はいつも大量の薬とサプリメントを常飲せざるを得なかった、健康意識が非常に高く俺にも様々な無添加サプリメントをくれた。
今から20年ほど前に無添加サプリメントをあそこまでコレクションしていた人はいないのではないかというレベルだ。
祖母も母親も「腹減ったー!」と言うとちょっと味の濃いおかずと大量の白飯をどどんと提供してくれたが、叔母はその献立と高校生の体と部活の疲れを考慮してちょっとした1〜2品を追加してくれてさらにサプリメントもくれた。なんともロジカルな可愛がり方をしてくれたもんだ。あの頃はその凄さやありがたみがわからなかったが今となっては本当に感謝している。
そんな叔母もここ10年は衰弱が進み、入退院を繰り返しいよいよ5年前から祖母と一緒に介護施設に入った。
日に日に弱っていく叔母を見るたびにこんなに凛とした才能あふれる女性がなぜ・・・と思ったもんだ。
最後の半年ほどは意識混濁状態で入院し、いわゆる植物人間となってしまった。
祖母、母親の判断だから口出しはしなかったが、全身管で繋がれて強制的に息をさせられ続けている叔母を見るのは辛かった。
あんなに優しく、美人で才能に溢れていた女性の最後としてはあまりにも尊厳のない状態。
生きることとはなんなのかとか、考えてみたりもした。
叔母は何を願っていたのか。
祖母、母親にとっては叔母がどんな状態でも司法的に「生」であることがエネルギーとなるのか。
今となっては何もわからない。し、正解もない。
ただ事実として、45年にわたり透析生活を続け、健康、研鑽にストイックで優しく、頭脳明晰で、語学をはじめ様々なことにチャレンジを続けていた女性が70年の人生を生きたと言うことは甥として心に刻み続けていきたい。
そしてそんな人の血が通っていることを誇りとして生きていけることに感謝したい。
すでに死んでしまっている祖父、俺が物心つく前に死んでしまった祖父母の家で飼っていた犬、12年前に死んでしまったうちで飼っていた犬がもういるから寂しくはないかな。
祖母はまだしばらくは行かせてやれないから、残った親族、新たに生まれてくる予定の命を見守っててほしいと願うばかりだ。
麺処まさ 3月の営業について
お待たせしました。
麺処まさ
3月の営業日
3/21
12〜13時
13〜14時
14〜15時
18〜19時
19〜20時
20〜21時
各先着15名
3/22
12〜13時
13〜14時
各先着15名
ラーメン:700
特製:1000
油そば:800
特製油そば:1100
今回は完全予約制で行きます!
場所は外苑前
https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13205442/top_amp/
コメント、LINE、DMでお越しいただける日時、人数を教えてください!!
お待ちしております!
※前回の食券をお持ちの方は+500円で特製に進化できます。
※前回の食券をお持ちの上で油そばは+100円、特製油そばは+600円で変更、進化ができます。
※特製の内容については改めてインフォメーションを出します。楽しみにお待ちください。
※油そばは特注の極太麺を使用致しますので、提供順が変わることがございます。
アスリートと共に生きる
2020年を迎え、新たなベクトルを進むことにしました。
これまでの仕事は業務委託として請け負いつつ、その割合を減らし、個人事業主として独立いたします。
これからはより本質的にアスリートの力となれるような取り組みを行っていきます。
で、具体的に何をするかというと、改めて詳細はお届けしますが
・アスリートのコンテンツ価値を最大化する
・アスリートのマネタイズポイントを増やす
この2点を重視してやっていきます。
アスリートはまだまだそのコンテンツを活かしきれていません。
それは知識的な要素や環境的な要素、経験的な要素、技術的な要素とが要因にありますが、それはアスリートによってまちまちなので、一人一人に合った課題解決を行っていきます。
そしてそれによって、具体的なマネタイズポイントを増やしていきます。
アスリートはトップレベルになればなるほど厳しくいうと、「してもらうことが当たり前」となる割合が高くなります。というか、「誰かに何かをしてもらうこと」の感覚が麻痺してるという表現が正しい場合もあります。
アスリートが自身の競技環境や生活環境を整備することに対して、より主体的に取り組めるように、導いていく方針でいきます。
一緒に成長したいアスリートの方は一度しっかり話しましょう!
そしてそんなアスリートの魅力を共に成長させていただけるサポーターの方々も随時募集しております。
ぜひお力をお貸しください。
今回の決断に際し、多くの方に支えていただき、多くのアスリートの皆様にご期待いただくこととなり、より一層身が引き締まる思いです。
引き続き、アナウンスを続けてまいりますのでよろしくお願いいたします。
※「麺処まさ」もやっていきますよ。
「麺処まさ」鶏清湯ラーメンについて
「麺処まさ」がどうのようなラーメンを提供するかということを書き連ねたいと思います。
ズバリタイトルにもあるように「鶏清湯(トリチンタン)」です。
数年前にブームとなった鶏白湯(トリパイタン)を食べたことのある方も多いのではないでしょうか?
鶏清湯:いわゆるクラシック東京ラーメンがその代表的なジャンルで鶏スープ自体は透明度が高く、あっさりすっきりとした味わい
鶏白湯:鶏などの動物系を香味野菜などとがっつり炊き出して白濁スープで濃厚な味わい
個人的には二郎系のようなラーメンを多く食べているけれど、ガキの頃から親父が作ってた鶏清湯がどうしてもベースにあるので、今回はここに挑戦することにしました。
ちなみに令和は鶏清湯がブームの兆しらしいので流行に乗るチャンスです。
で、どんなもんなのかについて読んでくれた方にはお伝えしておこうかと思います。
実は実家近くに板橋区を代表する鶏の卸問屋があり、高品質な国内外の鶏を扱っています。
ここで最高品質の鶏ガラなどを仕入れてスープのベースとします。
濁らせたり、過度に沸かしてしまうと鶏の旨味が壊れてしまうので手間をかけて丁寧に旨味を引き出します。
そこから鶏油も抽出します。鶏油とはまさしく鶏の油で旨味が多くビタミン、ナイアシンなども含まれております。
いわゆる町の中華屋さんと自宅のチャーハンの違いは火力もそうですが、この鶏油が大きく味を左右する要因となるくらいです。あとラードねw
とまぁそんな感じで数種類の部位から旨味を引き出させていただきます。
やっぱりいい環境で育った鶏はいい旨味を出してくれるしそれなりに高い。
次は味玉。
個人的に最近のラーメン屋さんの主流というか風潮なのが「味玉100円」これ本当に嫌です。でも味玉うまいですよね。
麺処まさでは味玉もデフォです。
その卵は昔から家族旅行で行ってい知り合いの別荘近くにある田辺養鶏場さんから仕入れています。
その田辺養鶏場のご子息がロンドン留学時にお世話になったサッカーチームのチームメート(ロンドン滞在時期はずれているのでロンドンで一緒にはなっていませんが。)だったことがわかり、親父のラーメンにはいつも味玉が入っていたので、これは田辺さんのところを使う以外の選択肢はないということで仕入れさせていただきました。
個人的にはトロっトロの味玉はそこまで好きじゃないので、トロっトロではないけど、卵本来の美味しさがわかりつつ、スープと親和性のある玉子をつけます。味玉うまいもん。
海苔も偶然知人に老舗の海苔問屋さんがいるので、最高品質の海苔を仕入れることができました。しょぼい家系にあるしょぼい海苔ってスープに溶けてベチャベチャになると磯臭さが出て嫌なんですよね。個人的に。なので、コストがかかろうが、いいやつにしてもらいました。
豚も国産豚にこだわり、大量に仕入れるには個人売買しかなく、コストがクソ上がるのでなんとか問屋まで調べ上げて、仕入れることができました。ほろほろ系も嫌いじゃないし、炙り系も好きなんだけど、ここは豚バラと肩の2種類を素材の良さをシンプルに出すことに決めました。チャーシューってうまいよね。
麺に関してもこれまたラーメン好きなら誰もが知っている三河屋製麺さんの麺を用意することができました。
当初は自家製麺で手打ちで・・と思っていたのですが、如何せん本業ではないのでそこまでの技術習得と時間的なコスト、エネルギーをかけることができず、こんな私でも取引させていただけた三河屋製麺さんの麺を吟味して仕入れさせていただくことになります。ありがたいことです。
とまぁこんな感じで要は不思議なご縁で素晴らしい素材を仕入れることができたので、
今からとても楽しみです。
とはいえ間借り不定期とはいえ用意しなければならないものは想定以上あるし、いいものばかり揃えたら想定よりコストもかかり、さらに試作試作でもはや飽き始めてるのではないかと思いましたが、昨日、今年から新規オープンにも関わらず連日大盛況の中、地獄のワンオペをかましてる後輩の店で刺激をいただいたので、今日の夜から鬼の仕込みに入りたいと思います。
明日から3日間ではありますが、試食会お越しいただくのを楽しみにしております。
今までの本業は業務委託という形で請けさせていただくことになりました
何人かの方にはお伝えさせていただきましたが、今年より、今までの業務を業務委託として請け負うことにして、個人事業主と形態が変わりました。
引き続き、アスリートに選んでいただけるコンディショニングデバイスの製造販売に携わり売り上げを上げていきながら代理店様や使用アスリートの管理、SNS、ECの販促強化に取り組んでまいります。
その上で、前回のブログでも出したように不定期で友人のお店を間借りさせていただきながらラーメン屋を展開していきたいと思っています。
試作&試作の毎日で家族には連日チャーシューやらラーメンにまつわるものばかり食べさせてしまい忍びないです。
さらには「アスリートのコンテンツ価値の最大化」をテーマにアスリートとより密接に動いていきたいと考えています。
引き続きよろしくお願いします。
ラーメン食べに来てください。
資金の減り方が予想よりえぐいのでクラファンちっくなことも視野に入れております。
ご協力のほどよろしくお願いいたします。