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スポーツとか色々書きます

なぜ24時間100kmウォークに挑戦したか、何を得たか。

11月2日朝から24時間をかけて挑戦するという「東京エクストリームウォーク」。
なぜこのイベントに参加しようと思ったか、そして、そこから得たものを備忘録として綴ります。。

きっかけ

なんてことはないです。主催や共産の関係者の方々に誘われたから軽いノリでまぁ出てみるかってなもんです。
※ちなみに私以外の皆様は後方のブロックからのスタートとなり、開始5時間で相当差をつけていたため、100kmの道中ずっと一人でしたw

ちなみに小学生の時ボーイスカウトでオーバーナイトハイクというものがあり徹夜で42・195kmを歩くというイベントなのですが、ゴール当日に行われる板橋区民祭りに友達と参加したかった僕はスタートからトップを独走し、ゴール地点で待ち受けるはずの大人の準備もままならない朝5時に8時間ちょっとという驚異的な記録(だったらしい)でゴール、即帰宅(ゴール地点から自宅が近いこともあってねw)し、区民祭を元気一杯楽しんだ経験から、まぁ100kmって言っても時速5kmで20時間でしょ?余裕やんwと謎の自信から参加の意思を固めてしまいました。

深い理由となるきっかけ

35歳元体育会系、一応2児の父親として生きてはいるものの、何か大きなというか、一見きつそうなものに体力的な部分ではなく、精神的な部分でチャレンジすることってもうなくなってしまっていたんですね。
体力的なチャレンジやトレーニングって体育会系出身ならまぁやろうと思えばやれるんですが、メンタル的な部分となると案外できないもんです。
なので、「24時間、100km?いっちょやってみっか」ってなかなかならない響きのものに挑戦することで何か新しい刺激があるかなってちょっと思ったりもしました。

あとは最近危篤状態に陥った叔母の存在。
母親の姉である叔母は幼少期に祖父から腎臓移植の手術を受け、小さい頃から透析生活となり、子供が産めない体ということもあり結婚をせずに生きてきました。
そんなこともあってか通っていたスイミングスクールや高校の近くで祖父母と同居していた叔母は俺のことを本当に可愛がってくれていました。
今年70になる割にはやはり長年の透析で体力も衰えてはいるのですが、今から約50年も前にフランスに1年半留学するなどバイタリティの塊みたいな人でした。
フランス語、英語はネイティブレベルで操り、手話も日本語英語ともに講師の資格を持つ才女。てか50年前にフランスに留学ってなんだよ。50年前ってまだ戦後やん。

そんな叔母がいよいよここ2週間ほど意識が混濁状態になりいわゆる危篤状態になり、いつどうなってもおかしくない状況となってしまいました。

四国で有名なお遍路さんの如く、なんか願掛けながら肉体的にも精神的にもきついチャレンジをすればもう意識もない祖母に何か届くんじゃないかな?なんて思っていました。
実際に聴覚って一番最後まで神経があるみたいで、他がダメでも俺が24時間で100km歩いてる。歩いた。と誰かの耳から入り、俺が直接報告できれば叔母の首にぶっ刺さってるぶっとい点滴から送られる養分よりも少しはマシなんじゃないかな。なんて思ったりもしました。

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10年前まだ元気とは言えないけど死んだじいちゃんも含めて親族でなんかのお祝いの会食。俺も痩せてる。これは確実に銀座で働いてた頃で朝まで仕事してから行ってますね。

まぁこじつけのように誰かのためになりそう且つ、この歳で未体験のものにチャレンジするチャンスもありってことで行ってみました。


何を得たか
・100km歩くのはとんでもなくきついことだってことを知った
・100km歩くには準備や対策が大事
・6km痩せました



SNSでは運営に不満ある人たちもいたみたいだけど、本当に運営の方やボランティアの方々ありがとうございました。参加費15,000円はやっぱたけーよって思うけどそんなの気にならないくらい現場ではありがたいことばかりでした。

また出ようとはすぐに思えないけど、きっと何らかの100kmイベントにまた挑むでしょう。
そしてマラソンにもチャレンジするでしょう。きっと。
チャレンジっていいです。参加費がどうとかの問題じゃないっす。

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