俺が不定期間借りという中途半端とも言える形でラーメン屋を始める理由
明けましておめでとうございます。
先日SNSでちらりと「不定期間借りでラーメン屋を出す」と投稿しました。
なぜ俺が「不定期間借りでラーメン屋を出す」のかについてつらつらと書き綴ります。
きっかけは俺が物心ついたとこから親父が自宅で本格ラーメンを作ってたことです。
親父は学生時代に中華料理屋でバイトをしていたらしく、その味が忘れられないからという理由で俺が物心ついた時から大晦日はラーメンを作り、我が家では年越しそばではなく年越しラーメンを食べていました。
1月2日には中学校の同級生だった両親の共通の友人家族が自宅に来ることが恒例になっており、みんなが親父のラーメンを食べていました。
幼心に「親父のラーメンがみんなを繋いでいる」と感じていました。
そんな遺伝子のせいか、3つ上の兄も私も異常なまでのラーメン好きとして育ち、母親も働いていた時期なんかは二人で晩飯にラーメン屋ばかり行っていました。
今でも覚えているエピソードがあります。
中学のバスケ部の顧問に「この辺りでうまいラーメン屋はどこだ?」と聞かれた時、俺はなんの抵抗もなく「親父のラーメン!」と答えました。
思春期、反抗期真っ盛りの年に純粋にこの反応が出るってこと自体すげーことだなと思います。
流石に担任でもあり、顧問でもある時に来ることは憚ったのでしょうが、卒業後、親父のラーメンを食べに来た顧問は「これはうまい」的なこと言ってました。
シンプルに嬉しかったです。
その後も大晦日に親父がラーメンを仕込み、兄が手伝うようになり、なんとなく「我が家の味」に誇りを持つようになりました。
社会人になってからも3年連続年間500杯を食すなど、ラーメン道を邁進していました中、先日親父が怪我をしたこともあり、2019年は親父のラーメンを食うことなく年越しすることになるという事態になりました。
それに伴い生まれる前から続いていた両親の友人家族の1月2日の集まりもなくなってしまいました。
また、怪我のリハビリ状況によっては今後満足にラーメンを仕込むことは難しくなるだろうと思い、若干料理に心得もある私がらーめんを作ることにしました。
親父の味を引き継ぐとかではないですが、「我が家の誇り」を途切れさせないことによって、人を繋げることができるのかも。
と思いました。
相変わらず話が長くなり大変恐縮ですが、「我が家の誇り」を守ることで人が繋がるって素敵じゃないですか?
親父の味を追いかけることで、そのラーメンを食べに来てくれた人たちが少しでも満足してくれるなんて最高じゃないですか。
と、私は思ったわけです。
「我が家の誇り」に懸けてうまいラーメンを提供します。
ぜひ応援してください。
そして不定期ですが情報公開していきますのでぜひ食べに来てください。
あと、思った以上にいろいろ用意しなければならないので、クラファンとかも考えています。
(そう言ったのも含めて)応援お願いします!!!