ザギトワ選手活動停止から考える採点競技のあるべき姿
平昌五輪フィギュアスケート女子金メダリストのザギトワ選手が活動停止宣言をした。
若干17歳の選手だが、熾烈なロシアフィギュアスケート界において五輪後に苦戦していた印象は強い。
特に冬季競技において、とりわけ採点競技において、アスリートとしてのピークを迎える年齢がどんどん若返ってきている。
スノーボードなども10代のアスリートがどんどん活躍をし、モーグルも厳密に採点競技とは言い難いかもしれないが、エアの重要性が増してくる度に若手の台頭が目立つ。
フィギュアもスノーボードハーフパイプやビッグエアー、モーグルのエアなど、体を空中でひねったり回転させる上で、自身の体重が大きなキーポイントとなる。
単純に重いと飛びづらい。
飛べないとひねったり回転させるだけの時間を確保できない。
そうなると、体が完成される前の方が何かとやれることが増えてきて、体ができてしまうと、体重管理や減量に苦しむことになる。し、そもそも飛べなくなってしまう。
しかし、回転やひねりの数を増やせば増やすほど身体への負担はもちろん大きくなる。
それが大きな故障につながるケースも頻発しており、若くして選手生命の危機に瀕するアスリートも少なくない。
技の凄さはエクストリーム競技でしのぎを削り、少なくともオリンピックや世界選手権では技の完成度、身体の使い方などを採点基準としてもらいたい。
正直フィギュアで4回転を見たときは驚いたし、ハーフパイプで前人未到の技を見たときは興奮した。
しかし、現在では技を決めることが目的となってしまい、より高難度の技が優先されている。
それにより、明らかに危険なチャレンジが推奨されるようになっていると言わざるを得ない。それは果たして「スポーツ」なのだろうか。
例えばフィギュアでは3回転でもいい、その空中姿勢や、それまでのプロセスなどを採点の中で今よりさらに重要視することはできないのだろうか。
チャレンジすることは尊い。しかし、それによるエキサイティング性があまりにも神格化されてしまうと、素晴らしい才能と技術を持った選手が活躍する期間が短くなってしまい、「子供」が本当に憧れる対象となるには非常に危うい状況となってしまう。
それは本質的な普及とは相反することになってしまう。
スポーツにより心技体を鍛え、社会性を伴わなければ、アスリートやスポーツが社会の中で普及していくことは難しくなってくる。
危険性やスリルを伴う興行となってしまうにはあまりにももったいない。
素晴らしいチャレンジは尊いが、長い目で見て、広い目で見て果たしてそれが最も大切な要素であるかは大きな疑問が残る。