もういい加減アスリートのセカンドキャリアなんて言葉に惑わされるのはやめませんか?
頑張っているからいいのではない。だからこそ盲目になることもある。
アスリートがセカンドキャリアという幻想に惑わされる時にいつも思う。
部活で汗を流しているから、競技力だけを高めていればいいのか?
顧問や担任、コーチのいうことを聞いていればそれでいいのか?
高校大学と、部活にも何も熱中せず、ただ日々をだらだら生きて(るわけじゃないのももちろん知ってるけど)、いざ、社会に出なければならなくなったタイミングで
「あれ?社会で生きていくにはどうしたらいいんだっけ?」
「あれ?俺社会で何かできるんだっけ?」
となる人は実際少なからずいる、ていうか結構多い。
アスリートは競技力を高めることに熱中し、集中したからこそ残酷ではあるが、
競技が生活の中心軸ではなくなったタイミングで、だらだら生きてきた人種と同じ岐路に立たされてしまう。
そこをやれ「アスリートのセカンドキャリアを支える」だの、「アスリートのセカンドキャリアについて考える」だの耳障りのいいことばかりで何の解決にも繋がらない人たちが、ただのアスリート(元体育会系)採用をしているから話がややこしくなる。
そもそもセカンドキャリアなんていうのは幻想だ。なぜなら、生活の中心軸に競技を置いたフェーズがライフキャリアにおいて終えただけで、違うフェーズが新たに始まるだけだからだ。
アスリートなんてのは生き様であって、プロアスリートとしてキャリアを研鑽していても、個人事業主、もしくは雇用されていたとしても「社会人」だ。
セカンドキャリアなんてものはない。
アスリートとしての財産を生かすも生かさないも、新たなチャレンジをするも自分自身だ。もちろんしがみつけるならしがみついたっていい。
全て自分で決めるのだ。
日本の教育上、「自分で考える」ということが非常に難しい環境であることは否めない。
顧問や先生、コーチのいうことだけを聞いていればよかったのかもしれないが、そんなわけない。彼らは彼らの世界でしか君を助けることはできない。
そしてその世界から飛び出そうとする君を「裏切り者」扱いするかもしれない。
そんなのは「足が速い、体が強い、球が速いetc・・自分のいうことを聞く」君が自身の価値を高めるとわかってる人のたわ言だ。
そんなのに惑わされることはない。
だが、それを環境や状況、人のせいにしても何も始まらない。
そしてもちろん、そうじゃない素晴らしき指導者もたくさんいる。
が、残念ながら該当するような指導者の方がはるかに多い。
アスリートとして精一杯生きている君にはたくさんの応援してくれる人がいる。
そういった人たちからもできる限り情報を得ることも大事だ。
だが、世の中は広い。もっとたくさんの有意義な情報が溢れてる。が、その数万倍クソみたいな情報も溢れている。
自分に心地いい人だけではないかもしれないが、よーく調べて、しっかり自分とも向き合って、信頼できる人を一人でも増やそう。そして有意義な情報を自ら取捨選択しよう。
競技を一生懸命やってれば許される時代はとうに終わっている。
ただ、競技に精一杯取り組んだ経験は誰しもが持っていない大きな財産だ。
本気で頑張る奴には応援してくれる人が出てくる。
アスリート生活の中でできることはたくさんある。
競技力が落ちないレベルでできることなど山のようにある。
アスリートよ。
もっと考えよう。もっと学ぼう。