THE BLOG

スポーツとか色々書きます

時代は変わった。に関する違和感。

最近ほぼ毎日スポーツ界を賑わしているパワハラ問題。毎度毎度新たな問題が出てくる。いい加減にしろ。

各競技団体や、チームの指導者やトップなどが選手やスタッフに高圧的な態度で臨んだり、罵声、暴力、人格否定、を行うなど許されざる現象が多々起きている。

そういった報道などを目にするたび「時代は変わっているのに」「今の時代にまだそんなことしてるのか」というリアクション。

もちろん気持ちもわかるし、そんなに深く考えてはいないだろうし、言葉狩りみたいではあるのだが、「時代が変わったから許されない」というマインドは極めてナンセンスだと思っている。

むしろ、そのマインドは「老害」を生む根源の一つを成していると感じている。

また、そのマインドにより、老害が生まれ続けてしまうとスポーツ界どころか現代社会にまつわる、「前時代の負の遺産」による問題を本質的に改善することはできない。

なぜか、時代によって守るべき倫理の幅を変えてしまうこと自体がおかしいからである。

時代という偶像的な対象のせいにせず、本質と向き合うべきだ。

あの頃はこうだったけど、流石に今はダメだよね。という問題などほとんどない。
サービスやコンテンツの開発が進んだことにより、物理的な問題ならなおさらだが、倫理的な部分では「今の時代じゃダメ」というものはたとえ過去でもダメだよという前提があったにしても、過去も今もダメはダメだ。

栄養学や練習器具などの観点でアスリートを取り巻く環境は大きく進歩している。
「あの頃はこういう練習しかなかったけど、今はこんなことやこんなケアができる」といった内容で過去と現在の対比が出ることはいい。


だが、パワハラや常軌を逸した協会運営など、今の時代それはアウト!ではない。

過去もアウト!今もやってたらなおさら!あほ!3アウトチェンジ!レッドカード退場!一本!不正出場!なのである。
たとえそれが情熱の表現の一種であってもだ。
言動はコントロールしなければ真っ当な運営、指導はできない。エネルギーが有り余ったとしてもだ。

暴力や高圧的なコミュニケーションで支配せざるを得なければならない環境というのはそれ自体がすでに異常なのだ。

こと、スポーツ界においてそんな環境は起こるはずもない。起こるとしたらそれは起こした側のリテラシー、能力が極端に低いだけだ。

問題はそういった「時代」に生きた世代が、成長せず時間とともに権利、権力を握りのさばっていることである。

現在多くの問題が噴出しているが、、現在の指導者や競技団体や協会の人間が、指導力リテラシーを高めようとしない限りは、成長を続けない限りは問題はこの先も起こり続ける。

聖人君子である必要はないが、立場や環境が変わっても成長のために情報を精査し取捨選択し身につける作業をやめてはならない。

やめた人間が今多くの問題を起こしており、スポーツ界の足を引っ張っている。

時代のせいじゃない。当事者そのものの能力が低いだけの問題だ。