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青春を彩った曲の種明かし

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浜崎あゆみさんへのインタビューに基づいた小説が発売された。

ニュースの情報によると、浜崎あゆみさんが一躍スターダムにのし上がった2000年までの間のことが綴られているらしい。

まぁ彼女が誰とどうだったかなんてどうでもいいが、その間に作られた楽曲についても触れられているらしい。

当時私は中高生で、浜崎あゆみさんの曲を主にカラオケで聞いていた。
いわゆるカリスマとして若い女性のトップアイコンとして輝きを放ち、多くの同世代の女の子たちがその歌詞に自身を投影し、多感な時期を過ごしていたことは間違いない。

スター側の人間からすればそんなことはどうでもいいわけでもないと思うが、今回の書籍で、その「歌詞」の裏事情が明かされてしまうと、あの頃私が「わかるぅ♫」って思ってたり、思わず自身と重ねて涙を流したりした淡い思い出はなんだったんだろうか・・・となってしまわないだろうか。

スターの宿命を偉そうに言うつもりはないが、音楽や曲、歌と言うのはそれほどまでに人に影響を与え、場合によっては一生寄り添ってくれるものだ。

その生産者としてあまりに無責任な種明かしだったのではないかと感じる。

もちろん、人は変化していき、世界も状況も立場も変わる。

だからこそ「あの頃」の思い出は尊く、いつまでも大切な思い出として、「あの頃」を彩ってくれる一つとして楽曲がいき続けているのではないだろうか。

浜崎あゆみさんがいつまでも浜崎あゆみでいてくれることはない。最近では劣化だどうとかよく目にするがさして興味はない。
でも、俺にとっても淡くほろ苦い思い出混じる「あの頃」の様々な思い出に間違いなく彼女の楽曲は存在し、彼女の楽曲に少なからずの影響を受けた女性たちとの大切な思い出がある。
「なーんかその思い出を彩ってくれた名曲にケチついちゃったんだよなー・・。」
って感じだ。

 

話は変わり、GLAYが7月31日に北海道でフリーライブを行ったらしい。
20年前に幕張で行われた20万人を動員した「GLAY EXPO」は俺も参戦した。

当時中三当時付き合っていた彼女と照りつける太陽の中、米粒みたいなGLAYを見た。
その時聞いたグロリアスも誘惑もSOUL LOVEも大切な思い出だ。

その夏休みに彼女が買ってきてくれた「ここではないどこかへも」、冬に一緒に聞いたアルバムHEAVY GAUGEも大切な思い出だ。

思い出を引きづりすぎて色々拗らせてしまったりしたことは俺の自己責任として多々ある(それによって迷惑をかけてしまった人もいる)が、あの思い出があるから今こうして生きているのも確かだ。

そんな大切な思い出を彩ってくれた曲たちはいまだにカラオケやバンド遊びでいまだに俺に寄り添ってくれている。

そんなGLAYが今でも変わらずというと語弊があるが、苦しい時期を乗り越え、今もなお誘惑を歌い、彼女のmodernを聴かせてくれ、新曲もバンバン出しライブもガンガンする。

ローリングストーンズも矢沢永吉大先生も安室奈美恵も現役かどうかは問わず、大切な思い出を彩った生産者として、その責任を一心にまとっているから、どんなことがあっても尊いのだろう。

もちろん、生産者の自由ではあるが、よくミュージシャンは自らが発表した楽曲のことを子供と比喩する。

自らが発表した楽曲が子供であるのなら、多くの方に愛された大切な子供であるのなら、「あの子の本当の父親は〇〇なのよ」「あなたの本当の父親は〇〇だったのよ」なんて話するだろうか。

当事者だけが大切にしまっておいてもらいたいものだ。

もちろん心身ともにすり減らして生み出した楽曲だろうからその時の状況や環境があるのは理解するし、複雑だとしても何ら不思議ではない。

そこに多くの方々が心血を注ぎ作り上げたからこそ、多くの人の胸に今でも残ってきたのだろう。
生産者とはいえ、その人たちの思い出まで汚す権利は輝き出した僕らだろうが、輝き出した彼らだろうがあったのだろうか。