指導者は選手以上の成長を
日本の指導者レベルは低いのか。
何をもって高低つけるのかは難しいが、指導者のレベルが上がれば、
より多くの優れたアスリートが誕生することは間違いない。
日本の指導者で問題になるのは体罰や暴力による支配、
主に部活における上下関係による厳しい支配を容認しているところにある。
科学的根拠が全てとは思わないが、生育期の身体に過度な負荷をかける指導法が数十年に渡り改善されていないのはなぜだろうか。
体罰や暴力をチラつかせなければ、権力を示唆しなければ言うことを聞かせられないのはなぜか。
多くの指導者とその教えを受けた生徒や元生徒の話を聞くに大きな要因は「指導者のアップデートがない」からに他ならない。
数十年前から多くの指導法やトレーニング法が先進国でレポートとして世に出てきているが、多くの指導者はその存在すら知らないことがほとんどだ。
「昔はもっときつかった」
「このやり方で〇〇年前に全国大会に連れて行った」
「〇〇は俺が育てた」
過去の栄光にいつまでもしがみついているのだ。
もちろん指導方針がぶれないのは大切なことだ。
しかし、子供達だってバカじゃない。それどころか、最新のメソッドを見たり聞いたりする機会が多いのが子供達なのだ。
その解釈力はまた別の話になるが、指導者は常に進化を続けなければ結果や実態が伴わず、求心力が落ちていく。その中で、「部活」において数十人から数百人を束ねていくには権力をチラつかせながら暴力的な支配をしないと難しいだろう。
まぁその時点でクソなわけだが。
世界のトップコーチと言われる層は常に新陳代謝が行われている。
もしくはアウトソーシングが非常にうまい。
専門的知見を持った新しい世代を「権力」をうまく行使しながら使い、パート的に預ける部分を増やし、うまいこと自分の実績にする。
そして、ある種の「指導者を中心としたコーチングチーム」として機能し、新たな世代はその中で実績を貯め新たなフィールドに自らを売り込む。
トレーナーなどはその循環が非常に早い。
しかし、この循環を保つには一定のキャパが必要になる。
クラブチームなどはできるが、学校法人などは民間の立ち入りまでの壁が多くなかなかスピーディーにはいかないし、そもそも雇う財力を捻出することも困難だ。
なので一部の環境が整ったところに優秀な人材が集まり、競争が生まれる。
これは指導者もそうだが、その教えを請う側も一緒だ。
ある種健全な循環といってもいい。
そこにあぐらをかいているだけの老害はもう綺麗にいなくなるべきだ。
日本のスポーツ界の邪魔になっているのはそうした老害たちに他ならない。
もっとやる気と健全なハートを持った指導者はたくさんいる。
チャンスを欲している指導者はたくさんいる。
しかし、老害たちが権力に固執するためにその椅子はなかなか空かない。
指導者は意識も知識ももっとアップデートする必要がある。
そうすればどんどんチャンスの枠は広がり、そこに結果を求める世界が待ち、健全な循環が生まれ、アスリートに還元される。
教えを請う側の人間も、そうした情報を調べ、「主体的に」自分をどういう環境に置くべきかを考える必要がある。
それは自らを「どう在りたいか」考える作業につながるからである。
指導者のアップデートはその選択肢を広げることにもつながる。