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プロアスリートのススメ

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なぜ私がプロアスリートをお勧めしているかというとその理由は大きく分けて2つある。

1つは
「自分自身にハードを置いた方がソフトを柔軟に取り付けられるから」

これはどういうことかというと、日本では実業団スポーツがメインなため企業の縛りを受けることが多い。
その代わり、大企業の社員と同等の給料をもらいながら競技に専念できるという背景があるが、あくまで実業団は企業利益が目的のため、自身の意向が反映される割合は非常に低く、企業の意向が優先される。

全員がそうだとは言わないが、多くのアスリートは強豪校で激務に耐え、有名大学でトレーニングに勤しみ、実業団へと進む。
常に何かにカテゴライズされた中で生活をしていることになる。
もちろん様々な目的があって浅学や進路を決めているだろうが、そこには常に「学校やチームの○○選手」というハードに身を置くことになるため、ソフトは所属チームの意向が強く反映される。
「○○選手」の人生なのに、学校や所属企業の意向が優先されてしまうのだ。
こうなると、選手は主体的に社会的思考を研鑽する機会が著しく減る。
このことが日本スポーツ界が抱える大きな課題になっているのだ。
学校や実業団が必ずしも悪いわけではない。
ただ、そのレールの上をひた走ることしか「原則として」許されない環境にしかいないと、より多くの可能性を潰してしまうのだ。
その可能性を一つ一つ潰してしまうと、スポーツ文化の活性化につながらないのだ。
アスリートがより輝くことで、憧れや尊敬を集め、大きなうねりが感動を呼ぶ。
これは感情論でしかないが。
アスリートという生き様をより多くの人に届けるためには既存の実業団ありきのシステムでは難しい。マネタイズの方法はいくらでもあるのにアクション(ソフトの取り付け)がしづらくなってしまうのも大きい。

もう1つが
「企業・実業団はアスリートほどアスリートのことを考えていないから」
これも至極当然だが、業務の中心が競技への取り組みで、評価対象が結果で、
結果の本質とは会社のイメージ、認知向上につながっているか。が実業団にとって重要で、それをなし得る人材は別に誰でもいいのだ。優秀であれば誰でもいい。

ので、本質的に、アスリートに寄り添うことはない。もちろん環境面や待遇を揃えることでより優秀なアスリートが来るようにするがそれはアスリートそのものを思ってのことではなく、利益や福利厚生のためだ。

しかし、プロアスリートになれば全て自身のために行動を行うことができる。
そして、自身のことを考えてくれる人を自由に選択することができる。
そうすること自体にも価値はあるのだが、最も本質的なことは、
「自分自身のためになるには、自分のことを考えてもらうためにはどうすればいいか」を考える必要に迫られると言うことだ。
競技と間接的につながっているが、そのような機会に自らを置くことが非常に重要なのだ。
それで初めて社会的思考に接する機会に身を置くことができるのだ。
この機会がなければ直接的に競技に接している時間はなんでもないが、それ以外の時間における選択肢や思考力が著しく低くなるのだ。

プロアスリートであれば「自分自身のためになるには、自分のことを考えてもらうためにはどうすればいいか」と考えることが非常に重要になると言うか生命線になってくる。その思考回路を持つこと、そしてその質を高めるために様々な人と出会いサポート関係が構築されていくことはとても意義深い。

スポーツがより良い文化に発展していくにはアスリートの在り方が非常に重要になる。
そのためのアクションをしやすいかしづらいかで言えば、プロアスリートは言わずもがなである。