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スポーツとか色々書きます

アスリートとは職業ではなく生き様である

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前回の記事が予想以上に多くの方の目に触れたので、

続編ではないが、「なぜアスリートは社会的思考機会」が少ないのか。
何点か要因を突き詰めて課題の本質を解決の糸口を模索していきたい。

前回の記事をご覧いただいた方が伝えたいことがよりわかりやすいと思うのでまだご覧いただいてない方はぜひご覧いただきたい。

masahiro5959.hatenablog.com


まず、何を持ってアスリートというかを定義する。

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ウィキペディア大先生にはこのように記されている。

セカンドキャリアと呼ばれる概念において「キャリア」を問題視するのであれば職業「プロ○○選手」と定義されて初めて成立するので、例えば
・「プロ野球選手のセカンドキャリア問題を解決する」
・「Jリーガーのセカンドキャリア問題を解決する」
のであれば成立はする。
個人的には全く賛同しないが。

プロ野球や、Jリーガーは職業として成立し、明確な雇用などに関する契約があって初めて成立している。

なのでその職業の次の職業をどうするかを(めちゃめちゃ遅いが)選手会や機構などが様々な選択肢を提示できるように動いているしそこに協力している企業なども多い。

そもそも金もコネクションもあるんだから自分で考えろや。と思うがその結論はあまりにも雑なのでもう少し待とう。

ではいわゆるプロアスリート以外のアスリートはどうするべきか。
一生懸命競技に取り組み、一定の成績を収める人、収められなかった人。華々しい活躍をして世間の注目を浴びた人。様々だ。
しかし、競技者として第一線で活躍したり競技生活を中心とした生活を送る期間というのは得てして短い。
そうなった時に何をするか。
「みんなで考えましょう!」
「(アスリートのセカンドキャリアに関する)課題解決をみんなでしましょう!」
はおかしいよねということだ。
考えるのはアスリートである本人であり、支えてくれるのが周囲の方々だ。

何も周りはサポートをするべきじゃない!なんて言っていない。
サポートする価値がそこにあれば最大限サポートしてもらいたい。

つまり大切なのは「サポートされる価値のあるアスリート」であるかどうかだ。
 
ではサポートされる価値のあるアスリートになるにはどうすればいいか。
それは
「自身のコンテンツを最大化する」
まずはここに尽きる。
そのためにはもちろん自分だけの力では難しい。
SNSをフル活用し、それを拡散する必要もあり、クオリティの大会発信素材でなければならない。
もしかしたら資金も必要かもしれない。
そうなった時に、賛同者、協力者をどうやって募り、味方になってもらい仲間にするか。

私は非常にシンプルに考える。
・サポートしてくれたことへの感謝を心から言動で表す。

この点を何より大切にすること、そして「心から」言動で表すことが非常に重要だ。
・なぜサポートしていただけたのか?
・どうすれば恩返しができるだろう?
感謝を心から表現するには避けては通れないキーポイントが上記2点だ。

なぜ?を自問自答することが大切だ。
しかし多くの場合、答えは見つからない。
だからこそそこで残る「感謝」という感情を大切に表現してもらいたいし、することでより大きな応援とサポートを産むわけだ。
サポートしたくなると思う価値がそこに発生する。

この時点で、自身以外の他者の感情を考え、それによって自分自身のことも考えることにつながっている。
そしてそれを表現するという人間として非常に重要なアクションをすることになる。

しかしこれが実はとても難しい。
これは日本における指導者、教育環境、サポート体制の問題でもあるが、
有能な成績を収めた若年層への待遇があまりにも将来性につながらないサポートになっていることが多いからだ。

小・中学生で有能なアスリートは指導者のキャリアのためにパイプのある強豪校に行き、そこで新たな指導者に言われるがまま指導を受け、自分自身の将来を考えることなくほぼ洗脳に近い状態のまま有名な大学に入れる安心感で麻痺した状態で新たな環境で活動を続ける。

多くの場合、恵まれた環境と激務に乗り越えるだけで、各カテゴリーの全国レベルの成績は収められるからなんとなく競技は順調にいってるように感じる。
それに伴い、親も有頂天になり、学校も設備投資をし、サポートメーカーから必要なデバイスももらえる。

それが当たり前になってくるのだ。
学生アスリートや元学生アスリートは胸に手を当てて考えてもらいたい。
有望なアスリートほどこの傾向が強かったのではないだろうか。
そして、そんなアスリートを「羨ましく思っていた」のではないだろうか。

そしてそんな環境にいたアスリートのさらにほんの一部が大学卒業後も実業団やプロなどで競技を続ける。

自分自身の人生で「ありたい自分」「なりたい自分」やライフプランをイメージすることなく、つまり社会的思考機会が著しく少ないまま環境を整えてもらいアスリートとしての期間を終える。

そこで「セカンドキャリア問題」という概念が出てくるわけだ。

長く競技を続けられるということはそれだけの力があったということだ。それ自体は非常に稀有なコンテンツであるが、社会においての自分の価値や立ち位置を知らないからその活かし方を知らない。

周りに何かしてもらうことが当たり前になっているから、自ら思考し、行動することができない。できたとしてもそのクオリティは低く、結果に結びつかないので継続できない。

しかし、精神論になってしまうが、コンテンツ力を持ち合わせ、常に「感謝」を持ち周囲と接していれば様々なサポートの恩恵にあやかることができる。
それに伴い思考機会が増え、サポートしてくれる人も増え、選択肢も増える。



アスリートから新たなステージでも輝いている人間はすべからく人間力が高い。
アスリート時代の競技そのものにおける努力量、結果はさほど問題ではない。

アスリートとして輝き充実している人間は人間力が高い。
人間力が高いからこそその後の人生も充実しているのだろう。

しかし、目に見えない苦労や挫折はたくさんあったはずだ。
そういう時こそ周囲のサポートがあると考える。
そしてそういったサポートをしてくれた人たちの多くは自分が「感謝」を伝えた人たちではないだろうか。

そしてそのサポートをしてくれた人たちはアスリートとしての生き様を見て価値を感じ取ったのだと思う。

もしかしたら利用されているだけかもしれない。
しかし、それだけの価値があったと自分で感じ考えマネジメントすれば良いだけだ。
コンテンツ力があればそのコンテンツを利用しようとする人も大勢いる。

口先だけの用意された「感謝」ではなく、自分を、他者を深く考え、それでも残った感情が「感謝」に行き着いたらきっと「セカンドキャリア」と呼ばれる概念にまつわるほぼ全ての課題を解決する糸口はもう目の前だ。

競技力を高めることは当たり前の作業で、さらにその中で自分でよく考え、
より確度の高い情報を取得し、精査するだけだ。
その時にサポートしてくれる人はきっとたくさんいる。
そして相談しようと思った時に頭に浮かぶ人も少なからず出てくる。
そして大いに活用したらいい。

そして新たに感謝すればいい。

そのアスリートとしての生き様が人に感動を生むのだと考えている。