THE BLOG

スポーツとか色々書きます

完全に俺の思い出の試合ベスト5

往年の名選手が続々と引退を表明した2018年。

誰も興味ないだろうけどなんかの拍子で思い出すと熱い話になるであろう、
「俺の思い出の試合ベスト5」

を徒然と綴りたいなと。
もちろんサッカーです。

No.5

【雪の決勝】帝京VS東福岡(1998年1月)

ãéªã®æ±ºåãå¸äº¬ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

自宅が帝京高校まで徒歩10分チョイということで、小さな頃から選手権といえば帝京だった。
磯貝、松波、阿部、とスターを目の当たりにして応援していた少年すずきにとって帝京高校はマジでスーパースターだった。なんか強くてかっこいい。
そんな帝京高校が久し振りに選手権決勝の舞台に帰ってきた。
中田浩二というイケメンのスター選手を擁し、貞富、藤田と後にJリーガーとなる名選手もいて、木島良輔という稀代のドリブラーが躍動する帝京は本当に魅力的だった。
対する東福岡は目下インハイ、ユース選手権を制し、前人未到高校三冠を目前にしていた史上最強とも言えるチームだ。当時は知らなかったがインターハイ決勝も同じカードだったらしくまさに頂上決戦と言える試合だった。

当時のメンバーも手島、千代反田、金古、宮原、古賀、本山、山形など、のちにJリーグで活躍する選手が占め、抜群に強かった。
そんな両校が雌雄を決する国立競技場を大雪が見舞った。

後に試合を振り返った東福岡志波監督は最も警戒し苦手としていた「木島のドリブル」が雪によって抑えられたと話している。
最大の武器とも言える「木島のドリブル」を失った帝京は中田浩二からのフィードを中心に攻め、先制に成功するものの、圧倒的なテクニックで雪のピッチでもグラウンダーの早いパスで攻め立てる東福岡が主導権を握る。

結果的に本山を中心に剛柔バランスよく攻め続けた東福岡が逆転し、前人未到高校三冠に輝いた。

個人的には大会中に負傷し決勝も確か途中出場だった貞富がベストコンディションだったら・・・って思いながら母親が里親募集の団体に申し込みその後13年一緒に暮らすことになる愚犬「ナビ」が我が家に来た思い出深い日でもあった。

No.4
マイアミの奇跡】日本対ブラジル(1996年7月)
ããã¤ã¢ãã®å¥è·¡ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

忘れもしない小6の夏休み、ドーハの悲劇以降、Jリーグ人気も開幕当初の勢いほどではなく、イチロースラムダンク人気による野球の盛り返し、バスケの台頭を許していたように感じていた中、世界中を驚かせる大勝利をやってのけた。

当時の五輪代表は前園真聖という絶対的スーパースター且つエース且つキャプテンを中心に、小倉、城、中田英寿松田直樹川口能活など日本サッカー界に燦然と輝く超個性派集団に加え、服部年宏鈴木秀人田中誠遠藤彰弘などの名選手が支える魅力的なチームだった。
残念ながら本大会目前、エース格だった小倉を負傷で欠くことになってしまったが、後にガンバで黄金期を作ることになり、ロシアワールドカップで一躍時の人となった西野朗監督が当時最強メンバーで構成されたブラジル相手に徹底的に策を講じ、大金星を挙げた。

実際当時の五輪代表はU-17などで世界を相手に真っ向勝負を仕掛け、手応えを得ていた中田英寿松田直樹らの世代と、開幕まもないJリーグですでに活躍していた川口能活前園真聖城彰二などが28年ぶりに五輪出場権を勝ち取っており、前評判は高かったものの、ジーダロベカル、フラビオ・コンセイソン、ジュニーニョ・パウリスタロナウドに加え、オーバーエイジで94年ワールドカップで活躍したベベト、アウダイールリバウドまでいるというとんでもないメンバーを相手に世論は勝利を予想していなかった。

この試合とにかく川口が凄すぎた。鬼神の如くブラジルのシュートを止め続け、28本ものシュートを浴び続けながらも無失点に抑え、ちん毛も生えていなかったすずき少年は人生で初めて興奮したことを覚えている。

そして、相手キープレイヤーのジュニーニョを服部がマンツーマンで潰し、連携に難があると見込んだジーダアウダイールの間に出したロングパスで両者が交錯、無人のゴールに流し込んだ伊東輝悦選手の映像は若い世代も見たことあるのではないだろうか。

運悪くグループステージでのちに金メダルに輝いたナイジェリア、結果的に銅メダルを獲得したブラジルと同グループだったため2勝1敗ながら敗退となってしまい、攻撃的な戦いを希望した前園、中田らと西野監督との確執も取り沙汰され、前園はその後期待された活躍をすることなく・・・と、当時日本中のサッカーファンが思い描いていた予想とは異なる道を歩むこととなったが、中田英寿という日本サッカー史上最高のタレントが全国区になるきっかけでもあった。

No.3

【初めての勝ち点】日本対ベルギー(2002年6月)

f:id:masahiro_5959:20190124121025p:plain

このころの日本はまさにワールドカップ狂騒曲といった感じでマジですごかった。
日本代表人気もピークで、日本代表のみならずベッカムイルハン、カーン、ロナウド(の髪型)も常に一挙手一投足に注目が集まっていた。

チームとしても小野を中心にワールドユースで準優勝に輝いた「黄金世代」と、すでに世界的プレイヤーとなっていた中田英寿、そしてトルシェ監督によるフラット3など話題も豊富な若き日本代表が自国開催で快進撃を、見せた。

その初戦となったベルギー戦。
ロシアワールドカップ時には世界のトップチームの一つであったが、2002当時は中堅国の一つと目されており、ウィルモッツなど力のある選手はいたが、組み合わせ的には何か別の力が働いたのではないかというくらい恵まれた。

ウィルモッツのバイシクルで先制された日本は小野からのベルベットパスに懸命に足先で触った鈴木隆行のゴールで追いつき、グループリーグのヒーローとなる稲本のゴールで逆転するも結果追いつかれて2−2で試合を終える。

しかしもはやワールドカップの常連国となった日本の記念すべき初めての勝ち点と、日本中がサッカーに一喜一憂したあの雰囲気を18歳で味わえたことは忘れられない。

 

No.2

ドーハの悲劇】日本対イラク(1993年10月)

ããã¼ãã®æ²åãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

日本にプロリーグが開幕して、まじでブームとなっていたこの歳に日本は過去最もワールドカップに近づいた。

それまでJリーグしか知らなかったすずき少年は夜更かしを許され父親とテレビにかじりつき、カズ、ラモスらの活躍に目を輝かせていた。

セントラル開催となったこのアジア最終予選で、日本は序盤こそ苦しんだものの、宿敵韓国に勝利し、立て直しに成功。最終戦イラク戦に勝てば文句なしでワールドカップ初出場が決まるという状況に持ち込んだ。

当時の俺はワールドカップもよくわからず、テレビを賑わせたヴェルディ川崎の選手を中心にただ応援していた。Jリーグオールスターメンバーが試合やっているのだから負けるわけないくらいに思っていたが、サッカーって外国も強いんだなって初めて知った。

試合は周知の通り後半ロスタイムにショートコーナーから追いつかれ引き分け。得失点差でわずかに韓国を下回りアメリカワールドカップへの出場は途絶えた。
泣きじゃくる柱谷や、動けないラモスらの映像は少年の心に響くものがあった。

日本リーグ時代の観客もまばらな頃からサッカー観戦をしていた父親も泣いていた。
それくらいショックなことなんだなと知った。
親父の涙を見たのは今のところこの時が最初で最後。とにかく心に残った印象的な試合。

No.1
ジョホールバルの歓喜】日本対イラン(1997年11月)

やっぱり色濃く残るのはいまだにこの試合だ。
日本が初めてワールドカップ出場を決めた試合。
この時のアジア最終予選もドラマが盛り沢山だった。

ドーハの悲劇を乗り越え、ファルカン監督を挟み、加茂周監督で最終予選をスタートしたものの、崖っぷちにまで追い込まれた日本は監督を更迭、コーチの岡田武史氏を監督に昇格させ、中山、高木らベテランを追加招集し、なんとか第3代表決定戦に駒を進めた。
当時のイランはダエイというエースを擁し、前日車椅子でマスコミの前に姿を現した曲者アジジや快速アタッカーのマハダビキアなど、タレントに富んだチームだった。

対する日本はいまいち調子の上がらないエース「カズ」が精彩を欠くなか、アトランタ組の筆頭である新エースとなった中田英寿を中心に先制に成功する。

しかしアジジ、ダエイに立て続けに得点を許し、日本はカズ、中山に変えて城、ロペスを投入。なんとか追いつき、延長に入り途中出場したものの、再三チャンスをモノにできなかった「野人」岡野が、中田英寿のシュートをGKが弾いたところを詰めVゴール。スポーツの試合で初めてでかい声で歓喜した瞬間だった。

結果ワールドカップに出場したものの、アルゼンチン、クロアチアに世界レベルを突きつけられ、ジャマイカ戦も破れた。
直前でカズがメンバー落選するなど、ドーハ組からフランスのピッチに立ったのは井原、中山のみと時代の変革のきっかけとなった試合でもあった。
正直この時の日本代表は俺が見てきた日本代表でも相対的に弱いというか「負ける気がしない感」が一番なかったチームに思えた。

 

振り返ると・・・

ドーハの時は何も知らないでヴェルディの選手たちに松永と井原とかがいる。最強じゃん!って思ってた。アトランタの時も本当に強くてブラジル戦もなんか実際起こしそうな雰囲気があったのを幼心に覚えている。

2002年以降は「アジアで負けていいわけない。」存在になり、実際にアジアの中では強かった。
けど、なんか97年の時は毎試合ヒリヒリしてたなぁ・・。ウズベキスタン?何それ強いの?って感じだったくらいの知識量だったけど、韓国にはまだやっぱり差があるなって思ってたし、中田しかスゴくないじゃん・・とか思っちゃってた。

で、この頃から続く中田の影響も大きくて高校から本格的にサッカーを始めて、未だにやってるんだからサッカーが持つ力って俺の中ではやっぱりでかいなと。

あと、なんか心に残った試合ってまだガキンチョだった頃の試合ばっかりなんだよな。
今もジャイアントベイビーなんて言われてるけど。

2004年アジアカップのPKエンド交代から川口の神がかりセーブや、李忠成のボレーとか、南アフリカワールドカップカメルーン戦とか心震える試合たくさん見てきたし、ワールドカップを決めた試合もたくさん見てきたけど、やっぱりまだ日本がサッカー途上国の頃に上を叩きまくってた頃の試合の方が心に残るんだよなぁ・・。なんでだろう。

そう思うと、今サッカー見てる子たちって、ある意味ワールドカップで勝つことが目標になってる状態がスタンダードだから、また違った見方するよな。ジェネギャ。

中田が現役の頃を知らないとかの世代の子と一緒にボール蹴ってんだから俺も歳取ったわけだ。

みんなの心に残っている試合はどれですか?