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スポーツとか色々書きます

日清駅伝チームの報道で感じたことを徒然と

2019年が始まり、風物詩となった、元旦のニューイヤー駅伝や、もはやモンスターコンテンツとなった箱根駅伝共にスリリングなレース展開となり大いに盛り上がった。

これから大阪女子マラソンや、別府大分、東京マラソンが控え、東京五輪出場のためのマラソングランドチャンピオンシップMGC)出場権をかけた争いもさらに盛り上がる。

 

長距離界は2018年に井上選手がアジア大会で金メダルを獲得、設楽選手、大迫選手が日本新記録を更新するなど活躍が目覚ましく、東京五輪に向けどんどん注目を集めている。

そんな中、ショッキングなニュースが流れた。

headlines.yahoo.co.jp

 

日清といえば駅伝界では長い歴史を持つ名門チームの一つだが、この度大きな舵を切るようだ。

退部する選手、内定取り消しなどに注目が集まっているがここではそれに関する意見を言うつもりはない。

日清ほどの名門チームで大企業が「解体」とも言える状態となった。
その背景を考えたいと思う。

そもそも駅伝はオリンピック競技になく、世界的陸上シーンでも「EKIDN」として認知されているがいわゆる日本特有のガラパゴス化したスポーツ文化である。

日本では先述の正月に行われるニューイヤー駅伝箱根駅伝が軍を抜く知名度を誇り、カテゴリー別に見ると、全国高校駅伝(男女)、大学生男子では箱根駅伝を含む3冠と称される「全日本大学駅伝」、「出雲全日本大学駅伝」などが注目を集めている。

それぞれの予選相当のレースもそれなりの注目を集めはするが一般的な認知度は高いと言えない。

そんな「駅伝」だが、年々言われているようにその存在価値を示すことが難しくなっているのが現状だ。

最も注目を集めるオリンピックに「駅伝」はなく、トラック最長が10000m、ロードではフルマラソンとなる。
駅伝で一般的な20km前後のトレーニングがトラックにおいてもロードにおいても足かせになっているという議論は多い。

世界の強豪ランナーを見渡しても、若年層時代に徐々に距離を伸ばし、脂の乗った20代後半、早くても中盤から10000mからフルマラソンにシフトをしていくというのが主流の中、モンスターコンテンツとなった「箱根」に出走するため、高校駅伝で12〜3km、大学で20km前後をタフに走りきるためのトレーニングをしてしまい、いわゆる箱根のスターたちは実業団に進み、マラソンでオリンピック出場を目指しても思い描いた成長曲線を期待通りに描くことができないでいることが多い。

また、実業団としての立場からしても、S&B食品が陸上部を廃部にしたり、今回の件もそうだが、駅伝チームを持つということはそう簡単なものではない。

一般的に実業団の駅伝チームは監督・コーチ・選手含め20人以上の規模でチームを運営する。
チームや選手によってまちまちだが、完全にトレーニングするだけの選手、午前勤務だけの選手もいるが、会社として大所帯のチームに予算をかけなければならず、年間の運営費は数千万円から2億円近くに上ると言われている。

企業が選手と契約して実業団スポーツとして運営するメリットの大きな理由となるのが「知名度」、「好感度」の向上。つまり広告宣伝費としての側面だ。
選手は広告塔としての役割を全うするために日夜トレーニングに励み、大一番に臨む。

しかし、日清、やS&B食品、現在の強豪チームである旭化成コニカミノルタ富士通トヨタグループなどに関して言えばそもそも駅伝で結果を出さなくても十分な知名度はある。

選手を会社全体でサポートして感動の優勝すれば好感度も上がるだろうが、そのためには並々ならぬ熱意と予算が必要になる。

つまり大企業であればあるほど、そんなこと(駅伝にエネルギーをかける)しなくてもいっちゃ良いのだ。むしろ、経営陣や株主からすれば不要とする意見が多くなっても当たり前と言えば当たり前なのだ。

不況のあおりを受けて企業スポーツが軒並み撤退していた理由としては経営的視点、予算の確保が困難になったケースがほとんどだが、今回の日清に関しては株価などから駅伝チームを廃部にしなければならないほど追い詰められているようには思えない(理由としては経営合理化策の一環とされている)。
シンプルにメリット・デメリットを勘案した時に、「別にいらなくね?」となっ他のではないかと考える(もちろんもっと経営的、感情的思考もあると思うが。)。

今回、部に残れるとされる村澤選手、佐藤選手はすでにMGCを獲得してるため、東京五輪に出場するチャンスがある。つまり会社的にもメリットのある存在だと言える。
少なくとも東京五輪選考レースとなるMGCは大きな注目を集め最大でも30人ほどしか出走しないので、いやが応にも注目は集まる。ましてや元々知名度の高い2選手なので。

変な話、駅伝チームを1チーム持つより、国内トップクラスの選手1人2人に予算、強化費を集約させた方が効率はいい。

先ほど「企業が選手と契約して実業団スポーツとして運営するメリットの大きな理由となるのが「知名度」、「好感度」の向上。つまり広告宣伝費としての側面」と述べたが、もう一つ大きな理由がある。

元々、大企業が野球部や駅伝部など「運動部」を持っている側面としては従業員の愛社精神を高めたり、「一致団結」するための象徴としての存在意義が大きかった。
都市対抗野球などは今でも東京ドームで大きな盛り上がりを見せるし、私の親戚は富士通に勤務しているが、普段全くスポーツを見ないのに、ニューイヤー駅伝ライスボウルはチェックしている。し、普通にそれなりに声援を送っている。

箱根駅伝で何十年も母校に熱い声援を送る駅伝部でもない卒業生も似たようなものだ。

選手個人のアスリートとしての成長より、チーム、会社、学校の栄誉のために会社、学校を代表してタスキを繋ぐことが至上命題なのだ。それが「部」なのだ。

なので、足を捻挫しようが脱水症状になろうがタスキを繋ぐシーンに感動する人が多いのだろう。文化として根付いているから。

しかし、私のようにその大学や会社に何の愛着もない人間からすれば、捻挫して無理に走り続けた選手のアスリートとしての未来がもっと言えば今が心配になってしまう。感動はしない。

話は逸れたが、実業団でスポーツをするということはその会社への貢献が第一であって、そのためにアスリートの成長が必要になるのだ。

つまり会社が従業員の愛社精神を高めたり、「一致団結」するための象徴としての存在意義を見出さない以上、会社の判断として部をなくすこと自体は自然の流れと言える。

もちろんそれに巻き込まれたアスリートは不憫だが、そもそもそういう背景は認識した上でそれ相応の覚悟を持って取り組んでいなければならないと言える。
※もちろん契約内容はここによって異なると思うが。

社内にチームを持ち盛んに活動している会社は文化として根付いている側面があ理、
そのような会社が都市対抗野球や、ニューイヤー駅伝ラグビーなど企業スポーツを盛り上げてきた歴史文化がある。そして、それがスポーツ文化の発展に大きく貢献したことは確かだ。

しかし、企業スポーツと、プロスポーツはそもそも求められていることが異なり、年々それは広がっている。
プロアスリートとして覚悟を決め取り組んだアスリートと、会社のためにまず存在しなければならないアスリートとでは目標は同じでも存在意義が異なるのだ。
※プロアスリートが自分だけを考えていればいいのかというとそういうことではないのだが。

それを同意義で考えていること自体がそもそもおかしな話であるが、大多数の人がそれに気付かないということは日本の企業スポーツが作ってきた文化の根強さを物語っている。

企業スポーツ、企業アスリート自体は悪いことではない。
しかし、それとプロアスリートが求める結果や、プロアスリートに求める結果を同じにしてはいけない時代なのだ。

そういう意味で、そもそもの企業、今回でいえば日清がその判断をしただけとも言えるのではないかと今回感じた。

今後さらに実業団、企業スポーツがスポーツ文化の中での在り方について問われていくことになるだろう。
個人的には独自の文化を発展させることも悪いことではないし、その枠から飛び出すアスリートがいてもいいし、そもそもその枠に入らないアスリートがいてもいいし、多種多様なアスリートがそれぞれの文化の中で幅広いスポーツ文化が発展していくようにすべきと考えている。

しかし、異なる文化のいいとこだけを羨ましがる風潮は終わりにしてもらいたい。
スポーツ界はさらにプロ化の波が大きくなるだろう。
そして、アスリートがアスリートであるために考えなければならないこと、しなければならないことは増える。
その分サポートする周囲のメンバーも成長する必要性があるのだ。