THE BLOG

スポーツとか色々書きます

アスリート全然関係ない。ラーメンも関係ない。

電車に乗ってると最近、「泣いてもいいんだよ」という乳児を持つ母親を支える啓蒙ポスターが貼られている。

ぶっちゃけ赤ちゃんが泣くのは全然いいが、せめてあやすくらいしてくれよと思うことはある。ギャン泣きしてる赤ちゃんの横で親がスマホいじッてるとムカつくのだ。

そう。世の中は赤ちゃんに泣くなと言っているんじゃない。
泣くのはいいけど、ちょっとはなんかしようぜ!と思ってるのだ(多分)。

あと、何か勘違いしている親が多い気がするが、乳幼児が何か迷惑をかけてしまった場合。こぼしたものがかかっちゃったとか、うろちょろして危なくて人の導線を塞いでしまったとか、そんなこたぁぶっちゃけどうでもいい。「むしろ気をつけなよー」くらいの穏やかな感情でいられるもんだ。

ただ、そういう状況で最近目につくのが、子供に「こら!」と注意をするだけで、迷惑(とまでは思ってないが)をかけた対象に謝らない人が多すぎる。

先日も自転車を漕いでいたら、親から手を離した小さな子が歩道を横断した。
あぶねーかもな・・って思ってたから減速してたので「やっぱり・・」でことなきを得てブレーキをかけ停止したが、親は子供に「危ないでしょ!」というだけだった。

別にいいけど、普通は先に「すみません」だろって思っちゃうよね。

そもそも乳幼児のお連れのお客様は優先席に座った方がいいと思うけど、幼児を超えたら積極的に座るのはおかしいと思ってる。つり革や棒にしっかり掴まった親の手をしっかり握り、「立て」と思ってる。

というのも、電車・バスは座れるもの、積極的に座らされるものという認識を持ったまま育ち、その概念を実はこうなんだぜ。と覆すのは難しいことを最近知った。

小三と年長の保護者となりたかだか1年ちょっとだが、人間楽なモードで一回染み付いた認識を治すことはとても難しいってことが最近よーくわかったのである。

無理やり直してもそれは本質を理解させないまま表面だけで「電車やバスは座らない」といった薄っぺらい認識が身についてしまう。

よく幼児が靴を履いたまま電車の椅子に登り窓を見るがマジで勘弁してほしい。その靴でどこを歩いてたんだよって思う。
靴のまま椅子に登り靴の裏が椅子に接する状況で何も言わない親とかマジでおかしい。

子供は色々大変だが、教えなくてはならないことは教えるべきだ。

しかし、俺が小さな頃は友達の家に遊びにいっても友達の親にも怒られたり注意されたりしたもんだけど、今って全然友達の家で遊んだりしないんだよね。

そうやって狭い社会しか知らずにどうやってこの後生きていくんだろうかと不安になる。

道端や公園であまりに目につく行動を取る子供を注意なんてした日にゃ「変質者」扱いされかねない世の中なくせに、公共の場では温かい支援を求めるんだから、まずは親がマインドセットからしていかないとダメだよなぁ・・・って思ってたら、なんてことない。

アスリートと指導者の関係もそうだね。

指導者こそ成長をしていかなきゃいけない。
親こそ成長していかなきゃいけない。

アスリートも子供も、指導者、親を見て育っちゃうんだもんね。