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私が働いている会社にはケニア人マラソンランナーがいます。
主な仕事はトレーニング、実業団チームやプロランナーのトレーニングパートナー、ランニングイベントへの参加、レース出場、レースのペーサーです。
日本に住んで17年経っているので日常会話には困りません。
そんな彼にオリンピック関連の小中学生向けイベントのお仕事が来ました。
「小中学生に日本に住む外国人アスリートが授業を行う」というような内容です。
そこで、10分ほどの自己紹介&講演があるので資料をパワポかkey noteで作成せよと指示をしました。
しかし、大学卒業後、実業団チームなどを転々としていた彼は、PCで何かを作ることができませんでした。
彼は「走る」こと以外、何もできない(ちょっと言いすぎですが)「大人」だったのです。いや、もちろん素直でまじめで、気さくで、礼儀正しい大人ではあるのですが。
社会に生きる一人の人間として、あまりに脆い状態でした。
と、いう事で件のケニア人ランナーに10分程度の自己紹介を含めた講演資料を社会勉強を兼ねて作成させました。
そこで露呈したのは先述した社会に生きる人間としての脆さでした。
大学、実業団時代は周りから何も指摘されずただ、人より早く走っていればよかったのです。高校時代に華々しすぎる成績を収めたので、ちやほやもされていたのでしょう。
PCはろくに使えず、日本語の文章作成もままならない状況。
徹底した厳しい指導でようやく中学生レベルの自己紹介文資料を作ることができました。そこから話し方や、ボディランゲージなど、自分を表現する方法の練習も徹底的に行いました。
その中で、現在のマラソン世界記録、日本記録、自己記録がそれぞれ時速何kmなのか、100mだと何秒なのか、なぜ高地トレーニングが有効なのか、酸素濃度がどのように変化するのかという、マラソンのプロフェッショナルなら知っているべきことを何も知らない状態でした。
ただ、「走る」事に特化しているだけで、薄っぺらい素養しか持ち合わせていませんでした。少なくとも「魅力的なアスリート」に必要な要素は少なかったと言わざるを得ません。
けれどこのようなケースは決して少なくありません。
アスリートがその競技力しか高めてきていないんだなと感じるケースはよくあります。
持論を掲げると、競技力すら高められてはいません。
「自分を表現する資料を作成することができない」事もそうですが、
アスリートがマッサージやストレッチを行います。
そこでマッサージされている筋肉の名称や役割、ストレッチで伸ばしている部分の名称や役割を知らない選手がほとんどです。
アスリートは体が資本ですが、その資本のことをほとんど知らないというのはいかがなものでしょうか?
よくアスリートに「八百屋は野菜のことよく知ってるし、花屋は花に詳しい。君は○○(名前)屋さんなのに、君自身を形成していることを何もわかってないじゃないか。」と話をします。
別に博士になる必要はないけど、自分のことくらいちゃんと知ろうぜ。勉強した方がいいよ。と話をします。
そしてアスリートは自分を発信し、競技生活を送るためのマネタイズをしなければなりません。現代ではSNSや動画配信などいくらでもやれることはあります。
そこでちょっと目を引く動画や、資料が作れたらより関心を集められます。
けれど、ろくにPCを扱ったこともないので、変わり映えしない情報を発信し、まともな動画も作れないので、発信内容が低次元で、関心を集めることができません。
アウトソーシングすることもできるので、知識を身に着けられないなら、知識を持つ人間を身につければよいのですが、その考えも持てません。
結果、注目度の低い競技を注目させようとしないまま選手生活にピリオドを打ち、社会で生きるすべを持っていないので引退後もその業界にしがみつくようになります。
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競技力を高める、ためにもっと勉強しようぜ。
競技生活を続ける資金つくりの方法、もっと勉強しようぜ。
知ろうぜ。