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スポーツとか色々書きます

競技力もコンテンツ力も大事なアスリート

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※記事内スクリーンショット

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190611-48590643-bbc-int

これって本当に男尊女卑なのかな。

シンプルに高い競技力に大衆は目が行くだけであって、男子と女子って区別じゃなくて、単にレベルの高い競技により注目度が集まっているだけなんじゃないかな。
そこに大金が動くのは当たり前だし、結果、競技力の高い側に多くお金が配分されるのはシンプルと言うか。

男性、女性と言う明確な違いがあるから区別して考えてるわけじゃないけど、俺だって160km投げるピッチャーと110km投げるピッチャーが同時に試合やるけどどっち見る?って言われたらそりゃ男性、女性問わず、160km見るし、それは男尊女卑とかじゃなくてアスリートとしての興味をどっちにもつかだけでしかないなぁ・・。

メッシと岩渕真奈どっち見に行く?ってなったらメッシ選ぶし、C・ロナor澤穂希さんに1万で会える。どっち?ってなったら男尊女卑とかじゃなくてC・ロナ選ぶよ。

それを生み出すきっかけがコンテンツにおける収益によるところなのにも関わらず、収入の格差が男尊女卑だ!って言うのはことスポーツ界においては違うと思うなー。

一般社会において、同じ能力や結果を出したのに、男性の方が収入多かったりしたらそりゃ問題だけど、現時点でクルトワとソロじゃGKとしての能力は差があるし能力に紐づいた注目度で差がつくのは仕方ない。
差をつけることが男尊女卑だなんて言うならもうスポーツやらない方がいい気はする。
どうせこれも切り取られたニュースなんだろうけど。

男女が同じ競技をして競技力以外の部分でコンテンツに差をつけることなんていくらでもできる。

現に全盛期の高橋尚子選手の収入やコンテンツ力は当時含め、今の男子マラソン選手を束にしたって敵わない状態だったけど、競技そのものでいえば高橋尚子選手はフルマラソンを2時間20分ほど、男子のトップランナーは2時間8分くらいだから男子の方が競技力だけならあるし。

箱根駅伝よりニューイヤー駅伝の方が競技力は高いけど、箱根駅伝の方がコンテンツとして成熟してるし、それに紐づいて収益だって集まってるし。

収益は必ずしも競技力だけに紐づいているわけではない、競技力を含めたコンテンツに紐づいている。

指導者は選手以上の成長を

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日本の指導者レベルは低いのか。

何をもって高低つけるのかは難しいが、指導者のレベルが上がれば、
より多くの優れたアスリートが誕生することは間違いない。

日本の指導者で問題になるのは体罰や暴力による支配、
主に部活における上下関係による厳しい支配を容認しているところにある。

科学的根拠が全てとは思わないが、生育期の身体に過度な負荷をかける指導法が数十年に渡り改善されていないのはなぜだろうか。

体罰や暴力をチラつかせなければ、権力を示唆しなければ言うことを聞かせられないのはなぜか。

多くの指導者とその教えを受けた生徒や元生徒の話を聞くに大きな要因は「指導者のアップデートがない」からに他ならない。

数十年前から多くの指導法やトレーニング法が先進国でレポートとして世に出てきているが、多くの指導者はその存在すら知らないことがほとんどだ。

「昔はもっときつかった」
「このやり方で〇〇年前に全国大会に連れて行った」
「〇〇は俺が育てた」

過去の栄光にいつまでもしがみついているのだ。
もちろん指導方針がぶれないのは大切なことだ。

しかし、子供達だってバカじゃない。それどころか、最新のメソッドを見たり聞いたりする機会が多いのが子供達なのだ。
その解釈力はまた別の話になるが、指導者は常に進化を続けなければ結果や実態が伴わず、求心力が落ちていく。その中で、「部活」において数十人から数百人を束ねていくには権力をチラつかせながら暴力的な支配をしないと難しいだろう。
まぁその時点でクソなわけだが。

世界のトップコーチと言われる層は常に新陳代謝が行われている。
もしくはアウトソーシングが非常にうまい。
専門的知見を持った新しい世代を「権力」をうまく行使しながら使い、パート的に預ける部分を増やし、うまいこと自分の実績にする。

そして、ある種の「指導者を中心としたコーチングチーム」として機能し、新たな世代はその中で実績を貯め新たなフィールドに自らを売り込む。

トレーナーなどはその循環が非常に早い。
しかし、この循環を保つには一定のキャパが必要になる。

クラブチームなどはできるが、学校法人などは民間の立ち入りまでの壁が多くなかなかスピーディーにはいかないし、そもそも雇う財力を捻出することも困難だ。

 

なので一部の環境が整ったところに優秀な人材が集まり、競争が生まれる。
これは指導者もそうだが、その教えを請う側も一緒だ。
ある種健全な循環といってもいい。

そこにあぐらをかいているだけの老害はもう綺麗にいなくなるべきだ。

日本のスポーツ界の邪魔になっているのはそうした老害たちに他ならない。

もっとやる気と健全なハートを持った指導者はたくさんいる。

チャンスを欲している指導者はたくさんいる。

しかし、老害たちが権力に固執するためにその椅子はなかなか空かない。

指導者は意識も知識ももっとアップデートする必要がある。
そうすればどんどんチャンスの枠は広がり、そこに結果を求める世界が待ち、健全な循環が生まれ、アスリートに還元される。

教えを請う側の人間も、そうした情報を調べ、「主体的に」自分をどういう環境に置くべきかを考える必要がある。

それは自らを「どう在りたいか」考える作業につながるからである。
指導者のアップデートはその選択肢を広げることにもつながる。

圧倒的二郎系健康法

痩せなければならない。

そう。私は痩せなければならない。

これは危機感を持って私の脳内を支配している。
「痩せなければならない。」

「痩せる。」

しかし、人間そう簡単に痩せることはできない。
私は人より多くの食事を必要としており、
ちょっと走ったくらいでは逆に空腹というスパイスが食事をより美味しくし、
箸にターボをかける。
そう悪循環だ。bad circulation

英語で言うことに意味はない。

つまり、体に負荷をかけずに痩せなければならない。
しかし、人間食事は大切だ。もはや食事とはただの栄養補給を目的とした生活習慣ではなく、人生をより充実させるためだったり豊かにするための「彩り」である。
食文化。そう。「文化」になっている行為だ。
三大欲求とされる睡眠、性、食で、文化になり得たものはあるだろうか。
産業にはなっている「性」。
食の質は高まっているのに、
高まるどころか低下していることが問題となっている「睡眠」
「食」だけが文化として発展しているのだ。
こんなにも素晴らしく、世界中で異なる発展をした「食」。
そこに我慢や苦しさがあること自体おかしな話で、その質を制限することは質の低下が様々な健康被害を及ぼす「睡眠」がアンチテーゼとなるべきなのだ。

と言うことで昼に二郎インスパイアを食べた。

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神々しいまでの輝きを放つ油と、これでもかとその油を吸収した野菜たち。そして、絶大な存在感を放つ塊肉に、自然の結晶である小麦で作られた麺。
食文化の象徴とも言える塩に、あふれんばかりの化学調味料

一見すると、痩せると言う行為への遠回りと思われるこの食事だが、まず、食べたいと言う欲求に素直に応じることでストレス緩和につながっており、満腹中枢が刺激されることで大きな満足感がある。
それだけで十分と言いたいところだが、二郎系を食することで「痩せやすくなる」ことを皆さんはまだご存知ないだろうから詳しく説明しよう。

・野菜から摂取することで血糖値の上昇を防ぐ
これは有名な話だ。めんどくさいから割愛するが野菜から食べるといい。
これだけの野菜が乗っているため、必然的に野菜を先に食べているのだ。体にいいのだ。野菜マシだし。

・小麦は土から生えてるのでほぼ野菜
これも言語化することで皆さんも納得するだろう。

・豚も植物質ばっか食って育ったからほぼ野菜
豚はほぼ植物質を摂取している。たまに小動物などの動物性タンパク質も撮っているが小動物は豚の中ではゼロカロリーに近いらしいのでほぼ野菜というロジックは納得。

 

・油は酸化した体には必要だから大丈夫
大量の油を摂取しているように思えるが、人間の体は常に酸化している。
酸化のわかりやすい可視化はサビだ。
錆びた自転車のチェーンや金属などにみんなクレ556を吹き付けたことがあるだろう。

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つまり酸化し続けている現代人には油を指す行為は必須なのだ。
良質な油を摂ることは生命維持として必要な行為だ。

 

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つまり二郎系を食することは世に蔓延している切り取られたネットニュースで報じられているような不健康なものではなく、もはや実りある生命をよりエネルギッシュにするために必要な行為だったのだ。

さらに、ラーメンの画像をよく見ていただければわかると思うが私は「辛玉」を無料トッピングしている。

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食べると辛いのだ。辛い玉だからだ。
皆さんも辛いものを食べた経験があると思うのでご存知だと思うが、辛いものを食べると汗が出る。代謝が活性化するのだ。
無論私も汗をかいた。ただでさえ熱いものを食べているのにさらに辛いのだから余計汗をかく。ちなみに私はめちゃ汗かきなので、おそらく採った塩分と水分と同等の汗をかいている。
つまり二郎系を食べながら完全に古いものを出し、新しいものに入れ替えているのだ。
一人衣替えだ。
そして、喉も渇くのでコップ3杯分の水を飲んだ。
その昔ナオミキャンベルが1日2リットルの水を飲むと言っていたが私はこの時点で500mlの水分を取り入れたことになる。ナオミキャンベルの推奨する量の25%だ。
ほぼナオミキャンベルだ。文字でいえばナオミキャンベルの「ナオ」まで到達した。

食事を終えると、外は雨模様。本日から梅雨入りだ。

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なので小走りで事務所に戻る。なんと汗をかいている状態で雨に濡れながら運動までしている。これはほぼアスリートだ。
アスリートis not デブ。

さらに帰り道で水分を補給しようとスーパーに立ち寄り購入したものがまずこちらだ。

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からだすこやか茶。
見ての通り特定健康補助食品

脂肪の吸収を抑え、糖の吸収をおだやかにする。

マジか。
神の飲み物だ。

これを飲むことで私は二郎系を食べたという結果だけが残り、体には何も残らない。
おそらくだが、ほぼ無味無臭のうんこが出るのだろう。

余計な糖や油は吸収されずに排出される。

しかも刮目してほしい。これはからだすこやか茶W」なのだ。
Wと表記すると早稲田大学の象徴だ。
圧倒的基礎学力まで手に入れてしまい、一流大学のそれもゲットした。

そして「W」といえばその昔一斉を風靡した「モーニング娘。」を圧倒的年下力で支え、
日本のアイドル界に大きな風穴を開けた加護ちゃん辻ちゃんのユニット「W(ダブルユーを思い出す方も多いだろう。
※詳しくは下記をご覧いただきたい
https://ja.wikipedia.org/wiki/W_(%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC!%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88)


なんと脂肪の吸収を抑え、糖の吸収をおだやかにしながら、それが2倍という意味も持つWであり、一流大学のサムシングもゲットし、さらにWを取り入れるということは加護ちゃん辻ちゃんからなるユニットの魅力的部分を取り入れていることになる。


これだけで二郎系を食べたことで圧倒的成長を果たしている。

 

ポプテピピック 圧倒的成長 Tシャツ ブラック Lサイズ

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そしてもう一つ購入したものがこちらだ

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オーガニックの野菜ジュースだ。
健康を飲料化したものが野菜ジュースと言われている昨今、オーガニックという超健康ワードを携えた禁断の果実。
それがオーガニック野菜ジュース
オーガニックで野菜のジュースだ。
無敵。
からだすこやか茶Wとオーガニック野菜ジュースを食後に取り入れている。

野菜から食べ始め健康的に野菜中心の食事をとり、水分をしっかり補給しながらも小走りという絶対可憐運動を行い、からだすこやか茶をWしてオーガニックヘルシーダイナマイトローリングスムージー的野菜ジュースを購入した。

もはや世に言われる二郎系ラーメンを食べたことによる健康的マイナス要因はどこにもない。

ましてや流石の私も二郎系のお店に入った瞬間、
それまでの間違った認識から健康的不安がよぎり、「今夜は走る」と決めていた。
俺は決めたらやる男だ。
「痩せなければ」と思いながらも「今日は二郎系を食べる」と決めたからには食べる。
そんな男だ。

つまり、二郎系を食べたことにより、健康的な食生活と満足感を得たにも関わらず、からだすこやか茶Wとオーガニック野菜ジュースで完全補完した上に、ランニングというダイエットの基本かつ最終奥義まで習得したことになる。

もちろん誤った認識からの危機感でからだすこやか茶Wやオーガニック野菜ジュースを購入し、さらに走る決意までしたことは事実だが、結果、二郎系を食することにより、圧倒的な健康ボディを手にするチャンスにつながったのである。

二郎は最強のスーパーフードである
ということが皆さんに伝わっただろうか。

ターメリック・マカ・モリンガ・ビーツ・アサイー・チアシードetc....

数々のスーパーフードがブームとなりやがて消え行く中で、長年にわたり多くの店舗が存在し、連日行列を作り、数えきれない人に愛されている二郎。そしてそのインスパイア系。

健康的不安側面が取りざたされているが、実は長年にわたり日本の平均寿命の成長を支えていた一旦を担っていたという事実があったということを新たに認識してもらいたい。

 


痩せます。






APPLEカスタマーセンターの当事者意識たるや

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私はおそらくクレーマー体質である。

磁気不良のキャッシュカードの交換に2週間かかると言われて、「江戸時代かよ」と窓口のおばさんに言うくらい。

その手続きに2枚ほど住所やら何やら書かされまくって、「江戸時代かよ」と窓口のおばさんに言うくらい。

んで、先日、見知らぬ料金請求があった。
アディダスのランニングアプリが自動延長されて知らぬ間に有料会員になって数千円の請求がされていたのだ。

問い合わせフォームは英語で、ググってみたところ似たような被害にあった人たちは皆苦戦していた。
そりゃそうだ。

んで解決方法でアップルカスタマーセンターに問い合わせてみろと書いてあったので早速電話。

調べてみると平日21時までオペレーターに繋がる。この時点で神。

かけてみる。

大抵、「非常に混み合って・・・うんたら」ってなるが、実は過去にもあるが3回とも数十秒でまず音声ガイダンスにつながる。神。

音声ガイダンスにつながると、非常にスムーズにこちらの用件を聞いてくれた。ちなみに過去2回とも。神。

そして、「しっかり対応いたしますのでどうかご安心ください」と声かけしてくれた。男性だけど天使。

そして「あっ」と言う間に解決。神。

請求されたのも支払わなくていいかもしくは翌月分から相殺されるとのこと。

ここまで約2分ちょっと。神。

ここまで真摯に対応してくれることはこれまでのクレーマー人生で感じたことはない。

私も短い期間であったが、ウェブ通販会社のカスタマーサービスに派遣された派遣さん達のマネージャーをしていたことがある。
その派遣さん達は人材派遣会社に登録されている人たちなのでもちろんウェブ通販会社の人間ではない。
で、上手な人は当事者意識が強い。もうこれはなんというか。

当事者意識が強いのである。

で、アップルのカスタマーセンターの方はこちらが何に困っていて、何をしてもらいたいのかすべてお見通しのようにスムーズに事を進めてくれる。

操作をしながら進むわけだがその時間ささえも把握している。
まるで銀座の高級クラブのホステスさんのような気立ての良さだ。
まさに心まで見透かされていたようだった。

カスタマーセンターにとどまらず、アップルの姿勢がよくわかる。カスタマーセンターなんて、いや、なんてというには非常に失礼なのだが、一般的にカスタマーセンターってやっぱり運営的視点からすると難しい存在なのだ。
「ピンチはチャンス!クレームしてくれる人をファンにした時がメーカー最大の強み!」なんていうがそんなのはわかってるけど実際・・というのが99.99%だ。

わざわざ文句を言う人の8割程が客側に問題がある場合が多い。そしてごく少ない割合でメーカー側に問題がある場合だったりするが、それでもクレーム内容に満足いく対応ができることは本当に少ない。それをご理解いただく他ないのだ。

そこに人的リソースをかけることが難しいがもちろんゼロにもできない。なので、やはり外れポイントなのだ。だから私が経験したように派遣さんを雇う場合がある。
が、そうすると、当事者意識は望めないので、どうしてもクレームは絡まっていく。

もちろんテクニックはあるし、対応技術も向上するが、当事者意識に勝るものはない。

しかし、外れとされる部署でこれだけの成果を出している会社はきっと素晴らしい会社なんだろうと思い、私インターネットの「ヤホー」で調べてみましたのでぜひご覧ください。
どうもありがとうございました。

プロアスリートのススメ

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なぜ私がプロアスリートをお勧めしているかというとその理由は大きく分けて2つある。

1つは
「自分自身にハードを置いた方がソフトを柔軟に取り付けられるから」

これはどういうことかというと、日本では実業団スポーツがメインなため企業の縛りを受けることが多い。
その代わり、大企業の社員と同等の給料をもらいながら競技に専念できるという背景があるが、あくまで実業団は企業利益が目的のため、自身の意向が反映される割合は非常に低く、企業の意向が優先される。

全員がそうだとは言わないが、多くのアスリートは強豪校で激務に耐え、有名大学でトレーニングに勤しみ、実業団へと進む。
常に何かにカテゴライズされた中で生活をしていることになる。
もちろん様々な目的があって浅学や進路を決めているだろうが、そこには常に「学校やチームの○○選手」というハードに身を置くことになるため、ソフトは所属チームの意向が強く反映される。
「○○選手」の人生なのに、学校や所属企業の意向が優先されてしまうのだ。
こうなると、選手は主体的に社会的思考を研鑽する機会が著しく減る。
このことが日本スポーツ界が抱える大きな課題になっているのだ。
学校や実業団が必ずしも悪いわけではない。
ただ、そのレールの上をひた走ることしか「原則として」許されない環境にしかいないと、より多くの可能性を潰してしまうのだ。
その可能性を一つ一つ潰してしまうと、スポーツ文化の活性化につながらないのだ。
アスリートがより輝くことで、憧れや尊敬を集め、大きなうねりが感動を呼ぶ。
これは感情論でしかないが。
アスリートという生き様をより多くの人に届けるためには既存の実業団ありきのシステムでは難しい。マネタイズの方法はいくらでもあるのにアクション(ソフトの取り付け)がしづらくなってしまうのも大きい。

もう1つが
「企業・実業団はアスリートほどアスリートのことを考えていないから」
これも至極当然だが、業務の中心が競技への取り組みで、評価対象が結果で、
結果の本質とは会社のイメージ、認知向上につながっているか。が実業団にとって重要で、それをなし得る人材は別に誰でもいいのだ。優秀であれば誰でもいい。

ので、本質的に、アスリートに寄り添うことはない。もちろん環境面や待遇を揃えることでより優秀なアスリートが来るようにするがそれはアスリートそのものを思ってのことではなく、利益や福利厚生のためだ。

しかし、プロアスリートになれば全て自身のために行動を行うことができる。
そして、自身のことを考えてくれる人を自由に選択することができる。
そうすること自体にも価値はあるのだが、最も本質的なことは、
「自分自身のためになるには、自分のことを考えてもらうためにはどうすればいいか」を考える必要に迫られると言うことだ。
競技と間接的につながっているが、そのような機会に自らを置くことが非常に重要なのだ。
それで初めて社会的思考に接する機会に身を置くことができるのだ。
この機会がなければ直接的に競技に接している時間はなんでもないが、それ以外の時間における選択肢や思考力が著しく低くなるのだ。

プロアスリートであれば「自分自身のためになるには、自分のことを考えてもらうためにはどうすればいいか」と考えることが非常に重要になると言うか生命線になってくる。その思考回路を持つこと、そしてその質を高めるために様々な人と出会いサポート関係が構築されていくことはとても意義深い。

スポーツがより良い文化に発展していくにはアスリートの在り方が非常に重要になる。
そのためのアクションをしやすいかしづらいかで言えば、プロアスリートは言わずもがなである。

趣味や娯楽に紐づくものは便利さではなくエンタメ性が満足度を高める

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私は今スポーツネックレスを中心としたコンディショニングアイテム等の製造・販売を行なっているメーカーで働いている。

主な納品先はスポーツ卸の会社だが、そこを経由して、Amazon楽天に出品しているいわゆるウェブショップの代理店さんや、スポーツショップなどに展開されている。

しかし、もはやスポーツ卸と代理店が付き合うメリットはほぼなく、売り上げを出しているスポーツショップさんなどは直で契約をさせてもらっている。

そんな実店舗さんを悩ますのが「ウェブショップ」だ。というより、「値引き販売」だ。Amazonなどは超薄利多売でもやっていけるが専門店はそうもいかない。

ざっくばらんに個人的な意見を言えば、それは現状仕方のないことだと思う。
便利に楽に購入したい層が「現状では」多数を占めているからだ。

しかし、この現象は今後も続くのだろうか。

私は数年で一部の商品においてその概念はなくなっていくと考える。

便利さを求めてウェブショッピングモールで購入する層がメーカーのウェブショップなどで購入していくユーザーに変化していくと考えている。

日用品や消耗品などは楽に便利に変えたほうがいいので、Amazonも含めてだが既存の店舗からドローンなどでデリバリーされる日がそう遠くない未来に来るのではないかと予想している。

何らかのデバイスや手法で情報を得て、最寄りのドラッグストアからデリバリーされるといった感じだ。もちろん一定数は直で見にいき購入することもあるだろう。

日用品や消耗品は回転が早いので各エリアに配送センターを兼ねた店舗があっても差し支えないというか、今よりもう少し便利になっていくだけ。

家電などサイズが大きいものはすでにビックカメラなどがもはやショールーム化しており、気に入ったものは即日や翌日配送となっている。

これからは家電製品などに関していえばARなどで自宅にいながらほぼ実際のものを確認し、情報を得て、注文し、巨大な配送センターから配送されてくるという流れになるだろう。

では我々のような生活必需品じゃないものはどうなるだろう。
あくまで個人的な考えだが、原点回帰して、買い物を楽しむようになると思う。

それがARなどの未来型になるまでに一旦原点回帰するフェーズがくると考えている。

なぜなら、生活必需品ではないものというのは各個人のエンタメ性に紐づいているものが多く、それを調べたり悩んでいる時間すらエンタメと紐づいているからだ。
そこに便利さを求めるフェーズが現在であれば、エンタメ性を求めるフェーズがやってくると考えている。

趣味や娯楽がよりエンタメ性を求められ、エキサイティングでスリリングなものとなればなるほど、「それに必要なものを揃える」作業は便利さではなく、エンタメ性が大切になってくる。

雑誌やテレビで憧れのタレントが来ていた服を見にわざわざ渋谷に行っていた人たちは不便だっただろうか。
それが地元のデパートにできた時同じような感動が生まれただろうか。

渋谷という街に作られたイメージに自らが飛び込み、109にいること自体がエンタメとして成立していたのではないだろうか。
それは地元のマルイでは叶えられないのだ。

しかし、SNSの誕生で、エンタメ性は体験ではなく発信に移った。
結果、Amazonでもなんでも安く早く手にすることが大事になり、それをSNS上でもなんでも視認できることが大切になった。

では、スポーツのシーンで言えばサッカーや野球、なんでもいいが、今でもスパイクやグローブ、バットを見るという作業は非常にワクワクするという人が多いのではないだろうか。

しかしある程度経験があれば、知識も伴っているので、現物を見なくても・・・「アップデートできる情報」があればOKになってくる。

この「アップデートできる情報」が肝心だ。

実際に購入しようとする作業はAmazonのほうが便利だが、情報を得て、欲しいものをピンポイントで購入するのであればメーカーが発信する情報をつかむことが大事だ。
必要とされている情報を角度高く察知しその情報を用意しておく。

その流れがあるにも関わらずでさらにAmazonに移動して新たに検索して購入するという流れは逆に不便だ。

そのステージに入ってAmazonが優位なところといえば価格だ。

しかし、メーカーが自身で売る能力が身につけば何もAmazonに卸さなくても、むしろ代理店に卸さなくても自身で販売までが可能になる。流通に関してはしばらくアウトソーシングせざるを得ないかも知れないが。

そうなると画一的な情報しか出せない現状のAmazonは厳しいのではないかという認識だ。ましてや市場価格を維持したいメーカー側とそれを意にも介さない販売店ともなると関係はどうなるかは明らかだ。

つまりより情報収集力の高い人にニーズとなる情報を届ける。そしてエンタメ性を兼ね備えたEC展開を施し、既存のショッピングではなく、「情報を得る→購入する→届く→満足感」をパッケージ化されたエンタメとして展開することが重要になると思う。

購入はもしかしたらワンクリックかも知れないが、そこまでのドラマを作る。主演:購入者、演出:メーカー、脚本:メーカーというドラマを各個人に対応できるよう作成することが大事だ。

商品を購入することが「消費」で終わってはいけない。

買わせること、買ってもらうことが目的ではない。購入後の続編も含めて情熱を持って取り組まなければならないし、それができないメーカーは淘汰される。


アスリートとは職業ではなく生き様である

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前回の記事が予想以上に多くの方の目に触れたので、

続編ではないが、「なぜアスリートは社会的思考機会」が少ないのか。
何点か要因を突き詰めて課題の本質を解決の糸口を模索していきたい。

前回の記事をご覧いただいた方が伝えたいことがよりわかりやすいと思うのでまだご覧いただいてない方はぜひご覧いただきたい。

masahiro5959.hatenablog.com


まず、何を持ってアスリートというかを定義する。

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ウィキペディア大先生にはこのように記されている。

セカンドキャリアと呼ばれる概念において「キャリア」を問題視するのであれば職業「プロ○○選手」と定義されて初めて成立するので、例えば
・「プロ野球選手のセカンドキャリア問題を解決する」
・「Jリーガーのセカンドキャリア問題を解決する」
のであれば成立はする。
個人的には全く賛同しないが。

プロ野球や、Jリーガーは職業として成立し、明確な雇用などに関する契約があって初めて成立している。

なのでその職業の次の職業をどうするかを(めちゃめちゃ遅いが)選手会や機構などが様々な選択肢を提示できるように動いているしそこに協力している企業なども多い。

そもそも金もコネクションもあるんだから自分で考えろや。と思うがその結論はあまりにも雑なのでもう少し待とう。

ではいわゆるプロアスリート以外のアスリートはどうするべきか。
一生懸命競技に取り組み、一定の成績を収める人、収められなかった人。華々しい活躍をして世間の注目を浴びた人。様々だ。
しかし、競技者として第一線で活躍したり競技生活を中心とした生活を送る期間というのは得てして短い。
そうなった時に何をするか。
「みんなで考えましょう!」
「(アスリートのセカンドキャリアに関する)課題解決をみんなでしましょう!」
はおかしいよねということだ。
考えるのはアスリートである本人であり、支えてくれるのが周囲の方々だ。

何も周りはサポートをするべきじゃない!なんて言っていない。
サポートする価値がそこにあれば最大限サポートしてもらいたい。

つまり大切なのは「サポートされる価値のあるアスリート」であるかどうかだ。
 
ではサポートされる価値のあるアスリートになるにはどうすればいいか。
それは
「自身のコンテンツを最大化する」
まずはここに尽きる。
そのためにはもちろん自分だけの力では難しい。
SNSをフル活用し、それを拡散する必要もあり、クオリティの大会発信素材でなければならない。
もしかしたら資金も必要かもしれない。
そうなった時に、賛同者、協力者をどうやって募り、味方になってもらい仲間にするか。

私は非常にシンプルに考える。
・サポートしてくれたことへの感謝を心から言動で表す。

この点を何より大切にすること、そして「心から」言動で表すことが非常に重要だ。
・なぜサポートしていただけたのか?
・どうすれば恩返しができるだろう?
感謝を心から表現するには避けては通れないキーポイントが上記2点だ。

なぜ?を自問自答することが大切だ。
しかし多くの場合、答えは見つからない。
だからこそそこで残る「感謝」という感情を大切に表現してもらいたいし、することでより大きな応援とサポートを産むわけだ。
サポートしたくなると思う価値がそこに発生する。

この時点で、自身以外の他者の感情を考え、それによって自分自身のことも考えることにつながっている。
そしてそれを表現するという人間として非常に重要なアクションをすることになる。

しかしこれが実はとても難しい。
これは日本における指導者、教育環境、サポート体制の問題でもあるが、
有能な成績を収めた若年層への待遇があまりにも将来性につながらないサポートになっていることが多いからだ。

小・中学生で有能なアスリートは指導者のキャリアのためにパイプのある強豪校に行き、そこで新たな指導者に言われるがまま指導を受け、自分自身の将来を考えることなくほぼ洗脳に近い状態のまま有名な大学に入れる安心感で麻痺した状態で新たな環境で活動を続ける。

多くの場合、恵まれた環境と激務に乗り越えるだけで、各カテゴリーの全国レベルの成績は収められるからなんとなく競技は順調にいってるように感じる。
それに伴い、親も有頂天になり、学校も設備投資をし、サポートメーカーから必要なデバイスももらえる。

それが当たり前になってくるのだ。
学生アスリートや元学生アスリートは胸に手を当てて考えてもらいたい。
有望なアスリートほどこの傾向が強かったのではないだろうか。
そして、そんなアスリートを「羨ましく思っていた」のではないだろうか。

そしてそんな環境にいたアスリートのさらにほんの一部が大学卒業後も実業団やプロなどで競技を続ける。

自分自身の人生で「ありたい自分」「なりたい自分」やライフプランをイメージすることなく、つまり社会的思考機会が著しく少ないまま環境を整えてもらいアスリートとしての期間を終える。

そこで「セカンドキャリア問題」という概念が出てくるわけだ。

長く競技を続けられるということはそれだけの力があったということだ。それ自体は非常に稀有なコンテンツであるが、社会においての自分の価値や立ち位置を知らないからその活かし方を知らない。

周りに何かしてもらうことが当たり前になっているから、自ら思考し、行動することができない。できたとしてもそのクオリティは低く、結果に結びつかないので継続できない。

しかし、精神論になってしまうが、コンテンツ力を持ち合わせ、常に「感謝」を持ち周囲と接していれば様々なサポートの恩恵にあやかることができる。
それに伴い思考機会が増え、サポートしてくれる人も増え、選択肢も増える。



アスリートから新たなステージでも輝いている人間はすべからく人間力が高い。
アスリート時代の競技そのものにおける努力量、結果はさほど問題ではない。

アスリートとして輝き充実している人間は人間力が高い。
人間力が高いからこそその後の人生も充実しているのだろう。

しかし、目に見えない苦労や挫折はたくさんあったはずだ。
そういう時こそ周囲のサポートがあると考える。
そしてそういったサポートをしてくれた人たちの多くは自分が「感謝」を伝えた人たちではないだろうか。

そしてそのサポートをしてくれた人たちはアスリートとしての生き様を見て価値を感じ取ったのだと思う。

もしかしたら利用されているだけかもしれない。
しかし、それだけの価値があったと自分で感じ考えマネジメントすれば良いだけだ。
コンテンツ力があればそのコンテンツを利用しようとする人も大勢いる。

口先だけの用意された「感謝」ではなく、自分を、他者を深く考え、それでも残った感情が「感謝」に行き着いたらきっと「セカンドキャリア」と呼ばれる概念にまつわるほぼ全ての課題を解決する糸口はもう目の前だ。

競技力を高めることは当たり前の作業で、さらにその中で自分でよく考え、
より確度の高い情報を取得し、精査するだけだ。
その時にサポートしてくれる人はきっとたくさんいる。
そして相談しようと思った時に頭に浮かぶ人も少なからず出てくる。
そして大いに活用したらいい。

そして新たに感謝すればいい。

そのアスリートとしての生き様が人に感動を生むのだと考えている。